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■デヴィッド・アーチュレッタの男性ファン - MADS

デヴィッドには、彼を熱烈に応援する男性ファンが結構います。彼らは「MADS」と呼ばれていますが、これは決して「気が触れた者達」という意味ではありません。

「MADS」とは、「Men Admiring David’s Singing:デヴィッドの歌を崇拝する男たち」、「Males Addicted to David’s Singing:デヴィッドの歌に溺れる男たち」のことです。

MADSには、どうやら40~50歳代の男性が多いようですが・・・

Amazonに寄せられた、そんなMADSたちの熱い声を紹介します!

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私はロックが好きで、時々ポップも聞くが、購入することはまずない。でも、デヴィッド・アーチュレッタがこの曲を歌うのを聞いたとき、何かが魂に触れ、涙が流れた。男性の歌声でこのような状態になったことはない。だから、デヴィッドに敬意を表することにした。彼はいい人でもあるようだし、彼のようなティーンエージャーがもっと必要だ。みんな、僕みたいに彼のアルバムを買うべきだね。

僕は「既婚中年男性によるアーチークラブ」の会員だ。彼の声はただもう特別で、人の心を動かす。めったにない才能だ。

僕は自分のことをデヴィッドが歌うのを聴くたびに心を動かされて涙を流すばかな男だと思っていたが、どうやらそれは、僕だけではないらしい。特に「In This Moment」にやられてしまった。デヴィッドはとにかく特別なようだ。彼の声は僕の深遠な部分にまで届き、大きな喜びをもたらしてくれる。イギリスにいる者としては、どうして彼がアメリカン・アイドルで優勝しなかったのか、理解できないね。アルバムが待ち遠しい!

僕は、デヴィッドのことがあまりにも好きで、周囲から随分からかわれているんだが、ほかにも僕と同様にデヴィッド・アーチュレッタが凄い才能の持ち主で既にスターだって考える同類がいることを知って心強い。ところで、僕はもうデヴィッドのCDを4枚予約した。妻と大学生の2人の娘、そしてもちろん僕のために、ね。

諸君、君達だけがデヴィッドを崇拝する唯一の男性ではない。君達は一般的にはMADS(men admiring David’s singing:デヴィッドの歌を崇拝する男性)と呼ばれている。ちなみに私は52歳の男性で、その一員だ。

私は58歳の男性で、デヴィッド・アーチュレッタの声が大好きだ。デヴィッドの歌を聴くまでは、アメリカン・アイドルなんて見たこともなかったけどね。これは何なんだろう?彼は、声帯麻痺を患っているそうだが。彼の声の中にソフトなかすれ声が入るけど、これが独特のサウンドの一部なんだろうか?彼の声は、私が今までに全く聞いたことのないものだ。私もすでに未完成のアルバムを3枚買ったよ。

この話に加われて嬉しいね。私だけじゃない、ってわかったからね。私は51歳の男性で、今までアイドルを実際に見たことはなかった。ところがAndrew Lloyd Weberの週に偶然チャンネルを合わせてデヴィッド・アーチュレッタに参ってしまったんだ。これまで歌手に対してこんな風に感じたことはなかったんだが、この特別な若者は人の心に直接迫ってくる。今では毎日BLEEPで彼の軌跡を辿っている。今までこのようなことをしたことは全くないっていうのに。我々のような大人の男性にとっては、彼を養子にして、保護するような感じだ。彼は私の人生を変えてしまった。私はこの若者のふるまいに従って行動しようとしているんだ。彼は現代の若者の良い見本じゃないか。私は、彼がジャッジに褒められている時でさえ泣いてしまった。特にまだ早い段階で、彼が「Shop Around」を歌った後で、彼の父の隣に座っている多分彼の叔母がジャッジのコメントを聞いて涙を流した時だ。自分は、おそらくこの若者を誇りに思って泣いたのではないかと思う。彼は本当に素晴らしい。私はデヴィッドがアイドルで歌った曲をまとめたアルバムでも満足である。何人のコンテスタントが(昨シーズンのコンテスタントなどは特に)、そのシーズンのパフォーマンスだけのアルバムを出すことができるだろうか?私は、唯一デヴィッドだけがそれができると思う。

私は48歳の男性で、人生の大半はロックを聴いてきた。子供時代のビートルズから始まって、エアロスミス(今でも大好きなバンドだ)などだ。数年前からアメリカン・アイドルを見ているが、このシーズンのオーディションを見ていて今年のコンテスタント達は今までで最も才能があると思っていた。この少年が現れてジョン・メイヤーを歌ったとき、もうAIを見るのを止めようか、と思った。私はジョン・メイヤーは好きだし、この曲もいい曲だ。デヴィッドの声には、最初の粗削りなオーディションの時から十分に驚かされた。礼儀正しい子にも見えたし。そして彼はハリウッド・ウィークで「Heaven」を歌った。私は「わお、この子はなんて歌が上手んだ」と思い、彼が合格してからは火曜の夜が楽しみになった。でも私を本当に虜にしたのは彼が「Imagine」を歌ったときだ。これは私が常に一番好きな曲である。ジョン・レノンが死んで以降、Imagineのカバーを数え切れないほど聞いてきたが、どれもぱっとしなかった。司会のシークレストがデヴィッドがImagineを歌うとアナウンスしたとき、私は「おいおい、その曲だけは止めてくれ」と思った。
その90秒後、頬を涙が伝っていた。悲しみの涙ではない。あの曲、あのパフォーマンス、私は彼に夢中になった。これは、私らしくない。誰かの歌、それも一部だけを聞いて涙を流すことなど、今までなかった。しかし、この若者が歌うと、私はなんだか変化してしまうようだ。私には、何が彼をあれだけ特別にしているのかが具体的にわからないことがはがゆい。彼の声のトーン、声の抑揚、歌い方、ビブラート、それだけではない。彼の声以上の何かだ。彼の声は、声以上である。まるで楽器だ。デヴィッドはその楽器をマスターのように操っている。それが何であろうとも、彼がそれを失わないことを祈るのみだ。

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わぉ、Lycosの住人に匹敵するほどの熱い思いが伝わってきますね!
もしやMADSは、O.D.D.より重症か?
デヴィッドって「じいちゃん、ばぁちゃんキラー」なだけじゃなく、「おじさんキラー」でもあったのね~ 

Be Still My Soul – 2008/6/1

★★ユタ州マレー、ファイアサイドにて(2008年6月1日)

AIファイナル後、ロスやNYでのインタビューをこなした後で、AIツアーのリハーサルが開始されるまでの少しの間、ようやく自宅に帰ったデヴィッド。皆が彼の情報に飢えている中で、このファイアサイドでの「Be Still My Soul」が紹介されるや、ファンの間のみならず、あっという間に世界に(!)広がりました。
デヴィッドの澄んだ歌声と共に、彼がこれを歌った背景がいかにもデヴィッドらしくて話題になりました。 

 

というわけで、NutterButterさんの(言外の)リクエストにお答えして、デヴィッドの後ろでピアノ伴奏しているリチャードがFanBlastに送った手紙を日本語にしてみましたので、どうぞ ↓

※なお、予想外に宗教色の濃い内容だったので、ニュアンスが違うかもしれません。誤訳はお見逃しの上、読み流してください。  

やあ、みんな。
僕の昨晩の素敵な経験をみんなに知らせたくてね。
昨日の午後3時18分にアーチュレッタの家から電話があって。デヴィッドがこれからファイアサイド(*)で2時間ほど話をしに行くんだけど、そこで歌う時に伴奏できるかって聞かれたんだ。(このファイアサイドでは)アーチュレッタの友達のブレット・ヘールズが彼の試練と、それをどうやってそれを克服したかを話すように頼まれていた。ブレッドはM.S.(**)でほんの6ヶ月前まではチューブからしか栄養を取れなくて、最後の日を数えているような状態だった。ところが奇跡的に回復して、今ではもうとても良くなったんだ。ブレッドはこのファイアサイドにデヴィッドを連れて行って、一緒に話をすることに決めたらしい。

そこで僕は、忙しい日曜の夜の予定をすべてキャンセルして、2人を乗せてフィアサイドに参加した。このファイアサイドは問題を抱える子供達のための学校で開かれるものだった。問題を抱える子供たちが「体勢を立て直す」助けとなるようにと設けられた10ヶ月間の校内プログラムだ。この中で最も面白かったこと言えば、子供達のほとんどはそれまでデヴィッドが歌うのを見たことがなかったんだ。そこではTVを見ないからね。だから彼等にとってデヴィッドの歌を聴くのは初めてだった。

そこで、デヴィッドは「Angels」と「Be Still My Soul」の2曲を歌い、彼のアメリカン・アイドルでの経験を話したんだ。僕は幸運なことに2曲とも伴奏するという光栄に預かった。そこにあったピアノは決して良いものじゃなかったけど、何とかうまくいった。この「Be Still My Soul」は、僕がデヴィッドのためにしばらく前にアレンジしたんだ。みんながこのパフォーマンスを聴けるように、リンクを書いておくから。彼がこの曲を歌った時、きっと部屋に御霊(みたま)(***)が降りてきたのを感じると思うよ。学校の先生達も、この子達がこんな風に(御霊を)感じるのはめったにあることじゃない、と涙を流していた。この子達が置かれている今の状況や彼らのふるまいから、彼らが御霊を感じたり、認識したりすることは難しいんだ。でも、これで、この子達が御霊を感じたことが証明されたわけだ。彼等の目を見ればそれがわかる。僕は、彼等が自分達の人生の中でより多くの御霊を感じたいと望むことを祈るだけだ。

デヴィッドは、彼と話をしたがる子達の相手を十分にしてくれた。サインし、一緒に写真を撮り、励ましの言葉をかけたりして、約1時間半をそこで過ごしたんだ。デヴィッドが分かち合う(share)(****)ことに意欲的なのは素晴らしいことだ。

まずは、パフォーマンスをご覧あれ!
リチャード

(*)ファイアサイド:モルモン教の日曜日に開かれる集会の1つ(だが、必ずしも日曜日に開かれるとは限らない)。ファイアサイドは通常、特定なグループ(若い男性、若い女性、独身男女、その他)のために夜開かれて、ゲストスピーカーが話をする。
(**) M.S.:多発性硬化症 (Multiple Sclerosis)。四肢麻痺、呼吸障害、視力障害、言語障害、嚥下障害、排便排尿障害、発熱、全身の痛みなどの症状がある。
(***)御霊 Spirit:原文が大文字のSpiritになっていますので、ここは宗教的な意味での「御霊」としました。モルモン教では、「御霊を感じる」ことがとても重要な意味を持つようですが、私、キリスト教にもモルモン教にもド素人ですので、これ以上の言及はできません。
(****) 分かち合う(share):同上
 

写真の右がリチャードさんですね。
davidrichard

Be Still My Soulとは、
・日本では 「賛美歌298番:安かれ、我が心よ」として親しまれている曲です。
・原曲は、シベリウス(J.Siberius)作曲の 交響詩「フィンランディア」Op.26 の中間部分です。
・フィンランドでは、この「フィンランディア(フィンランド賛歌)」は第二の国歌として親しまれています。このため、デヴィッドがこの曲を歌ったことがフィンランドのニュースに取り上げられました。「アメリカン・アイドルがフィンランドの国歌を歌う!」とか何とか(※フィンランド語なので正確なところはわかりません)。
↓以下フィンランドのサイトへのリンクです(フィンランド語です)。
⇒ http://www.iltasanomat.fi/viihde/uutinen.asp?id=1539538
⇒ http://www.hs.fi/viihde/artikkeli/Idol-Archuleta+laulaa+Finlandia-hymni%C3%A4+YouTubessa/1135236885529
⇒ http://www.iltalehti.fi/popstars/200806037744836_ps.shtml

デヴィッドのBe Still My Soulは、フィンランド人には賛否両論のようでした。といっても、デヴィッドの歌にケチをつけるのではなく、彼らの大事な「フィンランディア」が英語で全然違う歌詞になって歌われることに対する批判が多かったように思いますが。 

いずれにしても、フィンランドでDavid Archuletaが一躍有名になったのは、間違いない!?

↓原曲のフィンランディアはこんな曲です。歌詞付き。なんと「初音ミク」が歌っています!
http://jp.youtube.com/watch?v=gTdrSkO1Ubo

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★★ソルトレーク・シティでのホーム・カミングコンサート中止!(2008年6月7日) 
デヴィッドは、AIツアー開始までのつかの間の故郷での時間に、これまで応援してれたファンのために「ホームカミング・コンサート」を開く予定でした。2008年6月7日に、ソルトレークシティのEセンターで。チケットは1ドル(!)で、すべてチャリティに寄付することまで発表されていましたが、残念ながら中止になってしまいました。

理由は、どうやら会場であるEセンターが、ダメ出ししたからとのこと。AIのプロデューサは、このコンサートにOKを出していたらしんですが・・。
AIツアーのソルトレーク・シティ分2日目のチケットがまだ残っていたため、Eセンター側が、少なくともAIツアーが終わるまでは×、としたらしい、というのがもっぱらのうわさですが・・・本当のところはわかりません。

(そりゃあ、デヴィッド一人だけのコンサートがたった1ドルで聴けるんだったら、そっちの方がいいに決まってますもんね~。)

その後8月に開きたいとの話もあったようですが、デビューしたら難しいだろうし、幻かな?やっぱり。

Davidとボイス・コーチ

デヴィッドが、偶然の重なりから伝説的なボイス・コーチであるセス・リッグス(Seth Riggs)と知り合い、彼の教え子であったソルトレークシティに本拠地を置くボイス・コーチのディーン・ケーリン(Dean Kaelin)を紹介されたのは、彼が11歳の時でした。

この時、セス・リッグスは、ディーン・ケーリンに対して「この子は11歳にして力強い声を持っている。でも、デヴィッドが際立っている最大の理由は、曲をスタイル化して解釈する天性の自然な感覚を持っていることだ。」と伝えたそうです。

ディーン・ケーリンは、デヴィッドが声帯麻痺のために歌手としてのキャリアからまさに脱線しかけた頃に、彼の声帯を強くする手助けをし、また声変わりの時期もふくめずっと彼をサポートしていることになります。

でもボイス・コーチって具体的に何をする人なんでしょうね?音楽をやっている人なら当然よくご存知なんでしょうが、ど素人の私にはいまひとつよくわかりません。ディーン・ケーリンさんは、しばしばメディアに登場し、デヴィッドの裏話を披露してくれていますが、では彼は何をしているんだろう?と思っていたら、ディザレット・ニュース・モーニング・ニュースに彼とデヴィッドの関係が少しわかる記事があったので、簡単に紹介します。

■Deseret Morning News (2008年4月9日)

売り出し中のヴォーカル・スターは、ユタのコーチが頼り

ボイス・コーチで、野球のポニーリーグ(*)のコーチをパート・タイムで務めるディーン・ケーリンは、電話を受けたとき、野球の練習の最中だった。マレー出身で人気の高い「アメリカン・アイドル」コンテスタント、デヴィッド・アーチュレッタからの電話だ。彼はリハーサル中で、ボイス・コーチの助けが必要だったのだ。

近くの駐車場に止めた車の中で、ラップトップPCのキーボードを叩きながら、ケーリンは電話で、アーチュレッタに声帯をウォームアップするための一連のボイス・エクササイズを行った。それから、ふたりで次週の番組で歌う曲を何にするか、そしてそれをどのキーで歌うかについて話始めた。 次の朝、アルタ・スキー・リゾートに向かって家族でドライブしている時も、ケーリンは後部座席に座って携帯式のキーボードを叩きながら、アーチュレッタと電話で話しながら別のウォーミングアッププログラムを指導していた。

これが、マウント・オリンパスのポニーリーグでドジャーズのコーチを務め、一方で「アメリカン・アイドル」で最も人気のあるスターのボイスコーチでもある最近のケーリンの仕事である。

アーチュレッタはケーリンを頼りにしていて、いつでも電話をかけてくる。ついこの前もケーリンがTVで「アメリカン・アイドル」を見ている時に、アーチュレッタから電話を受けた。彼は、3000万人の前で歌うためにステージに出る数分前に、バックステージのトイレから電話してきたのだった。 それから数分間、リップドリルやスケール、それに漫画の声としか言い現せないようなミミッキングなどの様々なボイス・エクササイズを行った。それから、ケーリンはTVの前に座りなおして、彼の生徒のパフォーマンスを見た。
「これって、ちょっと非現実的な感じがするよね」とケーリンは言う。

ケーリンは、アーチュレッタがいつでも彼をつかまえられるようにと、今年に入ってから諦めて最初の携帯電話を購入した。ケーリンは、彼等のボイス・ドリルを助けるために、どこに行くにも小型キーボードを持参している。

彼は時には路肩に車を止めて、時には、食料品店の中でアーチュレッタのウォームアップを行う。 アーチュレッタは、車から、バスから、ホテルから、店から、トイレから、そしてスタジオからケーリンに電話してくる。「時間あります?」とアーチュレッタは切り出す。「(曲の)この1つのパートに問題があって」と。アーチュレタがスタジオに向かって歩きながらケーリンに電話し、路行く人たちが突然電話で歌いだした少年を奇異な目で見つめることもあった。

「彼はいろんな理由で電話してくる。彼の声をリラックスしたいい状態に保つため、アイデアが欲しい時、曲のアレンジメントについて話し合うため、何かの音がどうかをきたくて、などなど、ね」とケーリンは言う。

ケーリンがこの路を辿るのは、アーチュレッタが初めてではない。これまでに彼の生徒のうち3人がアメリカン・アイドルのファイナリストになっている。ジョン・プラエトはTOP25でカットされ、カルメン・ラスミューセンとアーチュレッタはTOP10に残った。電話でのコーチングは、実際には カルメン・ラスミューセンの時から始まった。「彼女は自由な時間があると電話してきて、電話レッスンとウォームアップを行ったんだ。」

ケーリンの生徒のうち20名以上が「アメリカン・アイドル」のオーディションを受けていて、そのほとんどが少なくともラウンド1か2までは残っている。「別にアメリカン・アイドルに力を入れているわけじゃない。生徒達はパフォーマンスを披露する場を探しているだけだ。」と彼は言う。

予想通りに、彼の生徒が「アイドル」で結果を残すと、ケーリンへの電話の数が増加した。彼は小さな家(スタジオをと化している)で85名の生徒に個人レッスンを行っている。負荷を軽減するために、彼は4名の先生を雇用した。今ではオーストリア、イギリス、ニュージーランドなどの世界中の生徒に教えている。

「みんな口コミなんですよ」とケーリンは言う。「宣伝したことは一度もないんだから」

(*)ポニーリーグは中学生によって構成される硬式野球リーグ

*******************

ケーリンさん、あのね、デヴィッドの裏話をそこかしこで披露してまわることを、世間では「宣伝」って言うんですよ~。

そのケーリンさんが、自分のスタジオで録音したデヴィドが12歳の時のイマジンの歌声を、MTVの取材に応じて紹介している映像が、こちら↓

http://www.mtv.com/overdrive/?vid=213513

これ、はっきりいって全曲きかせてもらいたいです。ケーリンさん、よろしくっ!

その後13歳のデヴィッドが「Good Things Utah」に出演してイマジンの全曲をパフォーマンスした時の映像がこれ↓。ディーン・ケーリンさん、しっかり伴奏してますね~。

※ちなみに、この時のデヴィッドは、一番目の歌詞の”hell”を”evil”に、さらに、三番目の歌詞の”brotherhood”を”motherhood”に代えて歌っていますね~。何でだろう?

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People en Español の記事

★People en Español (People Magazine スペイン語版) の記事 (2008年7月)

少し前になりますが、People誌のスペイン語版で、Devid Archuletaが紹介されました。
この写真も、記事の内容もなかなか好ましいので、紹介します!

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頂点に立ったデヴィッド・アーチュレッタ

TV番組「アメリカン・アイドル」での拍手喝采に後押しされて、ホンジュラスの血を引くヤングスターは、彼の歌を聴く者すべてを引き付けながら夢を追いかける

イシス・サウセーダ

<ページ右上>
誇り
「みんなが、自分のしたことに喜んでくれたら嬉しい」とデヴィッド・アーチュレッタは言う (2008年6月、ロス・アンジェルスにて)

<本文:1ページ目>

アーチュレッタの家族は、数ヶ月の間、これまでのようにユタ州マレーの自宅で一緒に夕食を囲むことができないままでいた。実際、それは容易なことではなかった。家族のうちの2人、父親のジェフと長男(5人の子供のうち2番目)のデヴィッドは自宅から600マイル離れたロス・アンジェルスにいて、一緒に過ごすことは不可能だった。でも、それだけの犠牲を払う価値はあった。2008年の初頭から、デヴィッド・アーチュレッタは、国民に最も人気のある番組のひとつであるアメリカン・アイドルで、毎週、毎週歌を披露するという、彼がずっと暖めていた夢を実現したのだ。「僕はいつもこうなることを想像していたんだ」とデヴィッド・アーチュレッタ(17歳)は言う。それに、ホンジュラス人の母親ルーペ(42歳)が付け加えた。「私は親戚一同が集まる時にはいつも子供たちに歌わせていたんだけど、デヴィッドは明らかに一番目立っていたの。」
これは、TVの歌謡コンテストにおいて、まさにデヴィッドがしたことである。彼女の息子は、5月のファイナルにおいて今年のアメリカン・アイドルになることはできなかった。

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<本文:2ページ目>

デヴィッド・クックに敗れて次点になったのだが、ラテン系としては最初の成功者となった。そして、この番組に参加したことで、約束されたキャリアへの扉を開いたのである。この夏、アーチュレッタは、アメリカン・アイドルのライブツアーに参加するだけではない。ソロ・アーチストとして、彼の最初のアルバムの製作を開始する予定である。
「アメリカン・アイドルは、彼にとって決して容易なものではなかったんだ。彼は簡単そうに見せていたけどね。」来年高校を卒業する予定のアーチュレッタについて、アメリカン・アイドルのピアニストで、音楽ディレクタのマイケル・オーランドは言う。「彼は天才として参加し、天才として去っていった。ほかの参加者達はみんな、彼のレベルに到達したいと切望していたんだ。」
あらゆる喝采や視聴者(彼のファンは自分達を「アーチーズ」と呼んでいる)からの数千万票に及ぶ投票にもかかわらず、アーチュレッタはそんな称賛に対して懐疑的である。
「僕は、自分の歌を聴きたい人なんて誰もいないって思っていた。」と、いまや彼を留めるものは何も無いパフォーマは言う。彼は、母親の影響でセリア・クルース、グロリア・エスタファン、セレナを聴いて育った。彼の母はマイアミに住み、タリアのファンで、「The Sisters Mayorga」で歌っていた。「僕はいつも恥ずかしかったんだ」。
しかしデヴィッドは、故郷のユタで、大勢の観衆の前で、両親が見守る中、歌を披露した。アーチュレッタは10歳にしてテレビデビューし、12歳でスター・サーチのヤング部門で優勝した。チャリティで歌うためにホンジュラスを訪れたことのあるこの少年は、セルバンテスの言語(スペイン語)をマスターすることによって自らのラテンのルーツにも敬意を払っている。彼は、母方の祖母と話す時にだけ、スペイン語を話す。「だって、おばあちゃんは僕の(スペイン語の)欠点を知ってるからね」と、マイクの前にいないときはいつもiPodで音楽を聴いているアーチュレッタは言う。(彼の好きな歌手、スティービー・ワンダー、セリーヌ・デュオン、マイケル・ジャクソンなんかをね)。
彼の、歌手としてのキャリアは、彼がまさにスタートを切ろうとしていた時に危機にさらされた。1年半ほど前、アーチュレッタは声帯麻痺のために治療を受けていた。「医者は私たちに『天にある何者かが彼に歌わせたいって思っているんでしょうね。医学的には、彼は歌うことができないはずですから。』と言ったんです」と、アメリカ人のジャズミュージシャンである彼の父(47歳)が言う。治療の後、この若者は再び歌いだす。最初は話すこともままならず、呼吸さえ困難だったのに、だ。この時点で、しかし誰も彼を止めることはできなかった。「僕は、ほかの人が歌うのを聴くと、つながっているって感じるんだ。僕が歌うことでそれと同じことができたら、僕は本当に嬉しいんだ」とアーチュレッタは言う。「多くのアルバムが製作できたらいいなと思う。スペイン語での曲作りも是非やってみたいし。たとえばルイス・ミゲルなんかいいよね!」

<デヴィッドの胸の上!>
「医者は私たちに『天にある何者かが彼に歌わせたいって思っているんでしょうね。医学的には彼は歌うことができないはずですから。』と言ったんです」:ジェフ・アーチュレッタ

<ピンクのコラム>
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「デヴィッドはいい子よ。いつも優しくて、思いやりがあって、礼儀正しくて素直なの」と母のルーペ・アーチュレッタは言う。「彼はいつもとっても素敵なのよ」

左上:1995年に、フロリダ州のキシミー川で両親と姉のクラウディアと一緒に休暇を過ごすデヴィッド・アーチュレッタ。

右上: アメリカン・アイドルでのパフォーマンス

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う~ん、この写真の選択といい、記事といい、やっぱりラテン系の感性の方が日本人に近いと思うのよね (← 何と比較してかはあえて言わない。おとなだからねっ!←これ気にいっちゃった♪)。

■Salt Lake Tribune 2008年4月28日

※※ 注意 ※※
○元記事は既にアーカイブ入りしていて、有料じゃないと見れないので、訳文だけの掲載です。あしからずご了承ください。
○少々長いです。時間のある時にお立ち寄りください。

『かつては恥ずかしがりやだったユタのデヴィッド・アーチュレッタが、

スポットライトに飲み込まれた

デヴィッド・アーチュレッタが歌えることを、誰もが知っていたわけではなかった。いま、アメリカじゅうがそのことを知っているようには。

2006年6月のとある乾いた日、「17歳のアメリカン・アイドル」現象が代名詞になる以前のデヴィッドは、数十人の十代の若者達と共にワイオミング州Martin’s CoveでのLDS教会の若者会議を終えて家に帰るバスの中にいた。友人達が彼に歌をしつこくせがんだ。
「彼は恥ずかしがって『だめだよ。ウォームアップしてないんだ』って言っていたわ」と若者のリーダーのジュリー・ランドバーグ。「でも、みんながあらゆる種類の拍手してせがんで、私が『彼らはあなたが歌うまできっと放してくれないわ』って言ったのよ。デヴィッドはとうとう折れて、バスの運転手のマイクをつかんだの。そして彼の優雅な歌声が静寂に満ちたインターコムシステムから流れ出したわ。彼はロビー・ウイリアムズの「Angels」を歌ったのよ。彼が「アイドル」で歌ったのと同じあのインスピレーション溢れるバラードよ。
あれは素晴らしかったわ。バスの中はもう静寂に覆われていたわ。まるでみんな「うわあ」って感じだった。」

それから2年後、デヴィッド・アーチュレッタはスターダムへと向かっている。2ヶ月前に「アメリカン・アイドル」で初めて2500万人の視聴者の前で1961年の大ヒット曲「Shop Around」を歌って以降、デヴィッドは「アイドル」の優勝候補になった。
今や5名のコンテスタンツを残すのみとなったが、柔らかなバラードと子供っぽいしぐさで知られるマレー出身のティーンは、ミズーリ出身の実力派でデヴィッド・アーチュレッタとは対極をなすロッカーのデヴィッド・クックと、ファイナルで顔を付き合わせることになりそうである。

「彼がステージに上がると、その途端に別世界になるの」とマレー高校2年生で彼の友人のシャンテル・ハンセン(17歳)が言う。「彼は音楽への純粋な愛だけでそれをするのよ」。

デヴィッドは、いつも音楽に夢中だった。父親のジェフ・アーチュレッタがフロリダでPBSの放送を録画した「レ・ミゼラブル」のビデオを、ユタの新居で荷解きしている間に子供達に見せて以降は特にそうなった。 この時6歳だったデヴィッドと彼の弟のダニエル(デヴィッドには3人の姉妹と弟がいる)は、このビデオを繰り返し見て、デヴィッドはすぐに心ですべての曲を覚え、コックニー訛りまでマスターした。

デヴィッドは才能を両親から受けついでいる。ジェフはジャズとラテンのトランペット奏者であり、ソルトレーク・シティにある D.B. Cooper’sなどのクラブで演奏していた。彼は、ホンジュラスのラ・セイバ出身のポップ/ラテン歌手である妻のルーペと一緒に出演もしていた。このカップルの第二子は、マイアミで生まれた。彼は1997年に家族がユタに引っ越すまでそこで育った。フロリダでは、ルーペがピアノを伴奏してデヴィッドに「The Little Drummer Boy」などの歌を教えた。彼はそれらの曲を即座にものにした。デヴィッドは簡単なピアノのレッスンも受けたが、家族や友人によればデヴィッドの能力は本能的なものだという。

「彼にはスタイルと表現をつかむ驚くべき能力がある」とデヴィッドのボイス・コーチであるディーン・ケーレンは言う。
4~5歳の時に、デヴィッドは、彼の夢にそって、彼がピアノで弾く曲を作曲した。ミュージカルへのやむことのない興味から、アンドリュー・ロイド・ウエバーの「エビータ」や「キャッツ」の曲をマスターした。8~9歳の頃は、教会のイベントや家族の集まりなどで歌を披露していた。

デヴィッドには才能と音楽的洞察力があったが、自信が欠けていた。彼に近しい人々は、彼は自分自身のことを、観客が彼の歌声を聞きたいと思うような優れた歌手だとは決して思っていなかったと言う。そして、彼が群集の前で歌うことを嫌っているのは明らかであった。「彼は、彼自身のもっとも厳しい批評家ですよ」と、家族の友人であるブレット・ヘイルズは言う。

しかし、2001年、デヴィッドが10歳の時に母親が彼を州のタレントショーで歌わせた時にすべてが変わった。彼がコンテストで歌ったのは、これがはじめてだった。そして、まったく知らない群集の前で歌うのもまた、初めてであった。
ホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」を歌うためにソルト・パレス コンベンションセンターの舞台に上がる前に、デヴィッドは不安発作を起こした。泣いて出るのを嫌がったが、出演までには2分しかなかった。デヴィッドと父親は簡単な祈りを唱え、そして少年は落ち着きを取り戻した。そして彼はスタンディング・オベーションを受け、優勝して200ドルの賞金とトロフィーを持ち帰った。しかし、さらに重要なのは、彼が観客の前で歌う勇気を勝ち得たことだった。

その1年後、彼は「アメリカン・アイドル」を知る。2002年のシーズン1は彼をとりこにし、デヴィッドは、曲を心から覚えるまで何度も何度も録画したエピソードを見続けた。特にタマイラ・グレイの「And I’m Telling You」を。シーズン1の後半で、彼はハリウッドのホテルでコンテスタント達に会い、ケリー・クラークソンにその歌を披露した。この瞬間を撮影したYouTubeのビデオは有名である。

彼がCBSの番組「スター・サーチ」に出演したのはまだ12歳の時だった。デヴィッドは即座に審査員を魅了した。 「あなたの歌を聴いていると天国にいるようだわ」と審査員の一人、カントリー歌手のナオミ・ジャッドは言った。「あなたは、本物よ。」
デヴィッドはこの番組で $100,000の賞金を得た。この賞金は、彼の家族がデヴィッドのためにレコーディング機器とフロリダの不動産を購入するのに使った。
彼はスター・サーチの「チャンピオン大会」に挑んだが、デヴィッドの片側の声帯の麻痺が進行し、週を追うごとに歌うことが困難になっていった。そして、ファイナルの直前に敗れてしまった。

「あのスター・サーチの後半は、彼の声を維持するために一緒になってできることはすべてやりました」とボイス・コーチは言う。彼の家族は、彼に休養を与えたがった。「彼は、『僕は学校に行って、普通の子供のようになりたいんだ』と言っていました」とデヴィッドのモルモン教のビショップであるマイケル・ランドバーグは言う。
デヴィッドは、幾夏かをローラーブレードで近所を遊び回り、時々頼まれると歌うために立ち止まりながら過ごし、良い子の評判を得ていった。

「ある日、彼が玄関に来て落ち葉を掃除してもいいか、って聞くんです」と近所に住む Amy Goeckeritz。「彼は私が妊娠していて臨月だって知っていて、それで掃除してくれたのよ。私は何かお支払いするわって言ったけど、彼はアイス・キャンディ1つ受け取らなかった。彼はそれから少なくとも2~3回は来てくれたわ。呼び鈴も鳴らさずにただ掃除だけして行くの。」 「クリスマスのたびに、うちにきて歌ってくれるのよ」とデヴィッドの日曜学校の先生だったSherry Madsenが付け加える。「私はデヴィッドには決してお金を渡せないことを学んだわ。彼はまるで、そう頼まれるのがワクワクすることであるように振舞うのよ。彼は、彼の音楽に対する愛を広めているの。そして、それは彼がそうしたいと望んでいることなのよ。」

彼が16歳になって、「アイドル」に出場できる最小年齢に達すると、デヴィッドはサンディエゴでのオーディションに挑戦し、番組へと出演した。最近のデヴィッドは、番組が続いている間、父親と一緒にロスのアパートに住みながら、毎週毎週リハーサル、写真撮影、エピソードのインタビュー、ケーレンとの発声練習、それにその週の音楽のアレンジに関する父親との作業に追われている。「彼らには、他に何かする時間なんて全くないのよ」とロスにデヴィッドを訪ねたコートニー・ヘイルズ(18歳)が言う。「でも彼は本当によくやっているわ。彼はこれを競争だとは思ってないの。彼はただ歌って楽しむためだけにそこにいるのよ。」

デヴィッドがスターダムに登りつめることは、楽しいことばかりではない。インターネットのタブロイドでは、ジェフ・アーチュレッタがレコーディング中にとっても厳しい要求を突きつけてデヴィッドを泣かせているといった根拠のないレポートを流している。先週の「Today」のインタビューでは、スター・サーチの審査員だったジャッドが父親に「彼をひとりにしてあげて」と嘆願し、ジェフを「最悪のステージパパ」と呼んだ。彼女は、スター・サーチの時にガードマンが彼をセキュリティ「ボックス」に閉じ込めたとまで言った。しかし、友人達はジェフを弁護する。彼は面倒見のよい父親であり、ジャッドには会ったことさえないのだ、と。
「ジェフには、どうして彼らがそのような印象を持ったのか見当がつかないんだ。でも彼はこれには相当傷ついてるよ。」と家族の友人のヘイルズが言う。
「私は録画のために2度ほどその場にいたけれど、セキュリティ「ボックス」なんてものは存在してなかった」とケーレンが付け加える。「ジェフとルーペはいつもほかの親達と一緒に座っていたよ」

新しく誕生したスターの生活とはそういうものである。

今のところデヴィッドは、来月のファイナルまで「アイドル」の称号だけに目を向けて歩み続けている。 第三者は、彼の音楽がどの方向に向かっていくのか、まだわからないと言う。ポップ、アダルトコンテンポラリ、啓発、あるいは十代のマーケットを直接魅了するのか? ヘイルズによれば、レコード会社の重鎮達が、番組後のデヴィッドとの契約を勝ち取ろうと既に列をなしているとのことだ。

デヴィッドが、末日聖徒イエス・キリスト教会の2年間のミッションのために、1年以上そのキャリアを中断するかどうかはまだわからない。デヴィッドのモルモン教のビショップであるランドバーグは「それが彼の選択であると固く信じています」と言う。「私は、彼がそうしたいと強く望んでいることを知っています。彼はそうしたいと考えていると思いますよ。」
しかし、ケーレンは、デヴィッドの「ミッション」は音楽で聴衆を感動させることであり、したがって彼は19歳のモルモン教徒の重要なマイル・ストーン(であるミッション)を先んじて行っているのだと考える。 「彼がこれをどう認識しているかはわかりませんが、彼は今すでにミッションについているんですよ」とケーレンは言う。「人々は、彼によって自分がどんなにインスパイアされたかを語っています。彼は既に救いを行っているんです。」

いずれにしても、友人と家族は、彼らのよく知るこの10代の少年が地に足をつけたままでいることを望んでいる。だが、だれも本気で心配はしていない。

デヴィッドは近頃レコーディングスタジオでカニエ・ウエストと一緒になった。彼はこのラッパーに会いたかった。ウエストは、デヴィッドの側を通り過ぎる時にデヴィッドに気付かなかった。そして、この十代の少年ときたらカニエに声をかけるにはシャイすぎた。「彼は自分がどんなに大物なのかをまったく理解していないと思いますよ。」とケーレンは言う。「デヴィッドは今アメリカ最大の番組に出演しているのに、彼ときたらまだスターにあこがれているんです。彼は、人々が彼のことを(スターと)同じように見ているなんて思ってもいないでしょう。彼はきっと今後もそう思うことなどない、と私は思いますよ。」

(おわり)

■ディザレット・ニュース(2008年3月16日)

天賦の才+運命 = ユタのアイドル「デヴィッド・アーチュレッタ」

記事原文⇒ http://deseretnews.com/article/1,5143,695262015,00.html?pg=1

デヴィッド・アーチュレッタが歌うことは、止めようのない自然の力だった。この一家の遺伝子に組み込まれた音楽が、彼の骨の髄まで染み込んでいた。そして運命、神意、あるいはほかにどのような名前で呼ぼうとも、「それ」が手を貸したのだ。

もし、父親が「レ・ミゼラブル」のレコードを家に置かなかったら?
もし、歌手であり踊り手でもある母親が、ホンジュラスからフロリダに移民しなかったら?彼女はフロリダで、夏のアルバイトでセールスをしていたデヴィッドの父親に出会ったのだ。
もし、ジェフの姉のボーイフレンドが伝説的なボイス・コーチに巡り会わなかったら?そして、そのボイス・コーチがコンピュータの使い方に助けを必要としていなかったら?

「こうなるまでには、それはそれは多くのことがあったんですよ。」とデヴィッドの祖父、ジム・アーチュレッタは言う。
「アメリカン・アイドル」にセンセーションを巻き起こしているソルトレークシティ出身の可愛い顔をした17歳のデヴィッドは、多くの少年達がフットボールやビデオ・ゲームに夢中になるのと同じように、歌に夢中になった。

運命の定めによって、163cmの十代の少年は、その成長(の遅さ)に反して大きな声を発達させた。そしてソウルフルな歌声で、目的を持って歌っていた。
「デヴィッドが8歳の時から、彼の目標は、多くの人々に自分の音楽を通じて福音を伝えることができるように、十分な名声を築きあげることだった。」と祖父は言う。「彼は敬虔なLDS(末日聖徒)なんだ。」

「アメリカン・アイドル」の人気にあやかってCBSが数年間放送したリメーク番組の「スター・サーチ」にデヴィッドが出演したのは、彼がまだ12歳の時だった。彼は有名なジャッジ達(Naomi Judd, LeAnn Rimes, Ben Stein and Ahmet Zappa)から満点をもらい、$100,000の優勝賞金を手にした。
その時、ソルトレイクシティ・トリビューンによる電話インタビューで、彼が最初に受けた質問は、「そんなにたくさんのお金をどう使う予定なの?」だった。
デヴィッドの答えはトリビューンでは報道されなかったが、「僕が最初にするのは、十分の一税を払うことだよ」だった。そして$10,000を教会(LDS教会:末日聖徒イエス・キリスト教会)に渡した。
それから4年後の今、デヴィッドは自身の歌の才能を全国ステージで披露している。彼は「アメリカン・アイドル」の人気投票ですべてのラウンドにおいて第一位にランクされている。デヴィッドの唯一の標準以下のパフォーマンスの時、(彼は一瞬歌詞を忘れながらなんとかこの週のパフォーマンスを乗り切ったのだが)、実は彼が2週に渡って連鎖球菌性咽頭炎にやられていたことは、誰も知らない。
複数のレコード会社が、「アメリカン・アイドル」の結果いかんにかかわらず彼と契約したいと考えていると報道されている。ある筋からディザレット・モーニング・ニュースに伝えられたところによると、デヴィッドは既に複数のレコードレーベルから接触されているらしい。

デヴィッド現象について完全に説明できるのは、身近な肉親だけである。しかし現在、彼らは何も語ることができない。「アメリカン・アイドル」はすべてのコンテスタンツとその家族に対して、番組が進行中はメディアに番組について何も話してはいけないという契約を交わしているからである。デヴィッドの友人や高校の知り合い達はみんな、デヴィッドのことを信じられないくらいシャイだと言うが、数千人の人の前で(この場合は数百万人だが)ステージに立たせたら、彼はエンターテイナーになる。
「それは本当だ。彼はとってもシャイなんだ」とジム・アーチュレッタは言う。「彼から続けて3語以上を引き出すことはできないよ。でもステージに立ったとたんに、彼は変身する。」

デヴィッドの全国ステージでのキャリアは、11年前の運命のいたずらから始まった。ジムの息子ジェフ(つまりデヴィッドの父親だ)が、家に「レ・ミゼラブル」の10周年記念コレクションを持ってきた。その一ヵ月後、ジェフは、デヴィッドがこのブロードウェイ・ミュージカルのすべての曲を覚え、正しいアクセントで歌うだけでなく、完璧なピッチで歌っているのを聴いて唖然とした。
彼は6歳だった。
「この時、私たちは、この子に天賦の才があることを認識した」とジムは言う。「これについては疑問の余地はない。彼には才能がある。」

デヴィッドの才能は、その血筋から来ている。ジムは、ユタ大学在学中にお金を稼ぐためにカルテットで歌っていた。ジムの最初の妻であるクラウディア(デヴィッドの祖母)は歌手であり、野心的な女優であった(彼らは離婚し、彼女はその6年後に亡くなった)。
デヴィッドの父ジェフは「Music Man」や「Peanuts」のPromised Valley Playhouseプロダクションで舞台俳優をし、またLDS教会のTVコマーシャルにも出演していた。彼はBYU(*)で全国的に有名なジャズグループ「Synthesis」のトランペット奏者でもあり、音楽で身を立てたいと考えていた。

「私が、彼にやめろと言ったんだ」とジムが言う。「私にはそれが彼と彼の家族にとって良い職業であるとは思えなかった。だから彼に『それは趣味に留めて置け。そうすれば家族と一緒に家に居ることができるじゃないか』と言ったんだ」
ジェフは、電気機器とコンピュータの販売をしているのだが、トランペットの演奏は続け、自ら曲も作っている。

ジムは、デヴィッドの才能の多くはデヴィッドの母、ルーペから来ていると思っている。彼女は生国のホンジュラスでLDS教会に入信した後にアメリカに移住してきた。フィラデルフィアでスペイン語による教会のミッションに従事した後に、ジェフはルーペと出会った。その時、ジェフはフロリダで夏のアルバイトで断熱材のセールスをしていたのである。そして2人は結婚した。

ルーペは歌手であり、サルサのダンサーでもある。彼女はその両方の情熱を5人の子供達(クラウディア、デヴィッド、ダニエル、メリッサ、アンバー)に伝えている。彼等は教会のクラブ、キワニス・クラブ(**)、ボーイスカウト、家族が集まったときやパーティなどで、歌ったり踊ったりしていた。

上から二番目の子であるデヴィッドは、BYUの女性会議で父の曲のうち1曲を歌ったことがある。ユタの共和党Sen. Orrin Hatch氏の政治的会合で歌ったこともある。デヴィッドは時間があると、自分の好きな歌手(ナターシャ・バディングフィールド、ナタリー・コール、セリーヌ・デュオン、マライア・キャリー、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、ブライアン・アダムズ、カーク・フランクリン)のレコードを聞いていた。

デヴィッドが全国デビューしたのは10歳の時である。「Jenny Jones Show」ではマイノリティのパフォーマーを探していた。友人がアーチュレッタ家に電話してきてそのことを告げ、結果的にデヴィッドが選ばれ、そのショーでパフォーマンスを披露した。

その2年後、デヴィッドは「スター・サーチ」に、全く偶然に出演することになった。彼の叔母のCharには音楽業界で働くボーイフレンドがいた。彼が有名なボイス・コーチであるセス・リッグス(Seth Riggs)とミーティングしていた時に、リッグスが、歌を教える時に使うコンピュータソフトウエアのプログラミングができる人がいなくて困っているという話をした。ボーイフレンドはコンピュータに詳しいジェフを推薦した。ジェフはカルフォルニアに飛んで、プログラムをインストールし、それから世間話で自分の息子が歌手だという話をした。リッグスは、彼の歌を聴いてみたいと言った。デヴィッドは、当時11歳だったが、リッグスのために歌い、リッグスは感銘を受け、短期間ではあったがデヴィッドを教えた。そして、ソルトレーク在住のボイス・コーチDean Kaelinのコーチを受けるように勧めた。

もう一つの運命のいたずらは、120人ものグラミー受賞者をコーチしたリッグスが、「スター・サーチ」のボーカル・コーチだったことである。デヴィッドはこの番組に参加しただけでなく、優勝までしてしまった。

「デヴィッドの人生の中では、音楽がすべてなんだよ」とジムは言う。「彼はスポーツに熱中したこともないし。いつも音楽に集中している。彼が優れたパフォーマーである理由は、彼が音楽に対してとても感受性が強くて、そしてそれを自分の音楽の中で伝えることができるところにある。」

デヴィッドは、TV画面を通じてさえその確かな優しさと善良さがにじみ出ているが、祖父に言わせれば「ただ感受性の強い、良い子供」であるらしい。ジムは、デヴィッドはいつもオールAの生徒で、自分の成績に「かなり執着している」と教えてくれた。彼は、かつて自分の成績に1個Aマイナスがあった時にひどく落胆した、とも。

デヴィッドは、定期的なボイス・レッスンに加えて、余暇を曲作りや、ピアノやギターを弾いて過ごす。デヴィッドはいつも、大学に行って教会のミッションに従事するプランを描いていた。彼の「スター・サーチ」の賞金はこれらの費用を賄うのに投資されてきた。しかし、「アメリカン・アイドル」での成功とレコード会社からのオファーによって、この計画が変更される可能性がある。
ジムが言うには、「デヴィッドが大学に行く件についてジェフと話したんだが、ジェフは彼に大学に行く余裕ができるかどうかはわからない、彼は歌うことで大金を稼げるだろうし、多分歌を手放すことはできないんじゃないかな、って言ってたよ。」

今、「アメリカン・アイドル」が放送される夜には、ジムと妻のキャロルはTVの前に座ってデヴィッドを見ている。アメリカの他の多くの人たちと同様に、コンテスタント達のパフォーマンスへの批評を大声で言い合いながら。
「とっても素晴らしい時間を過ごさせてもらってるよ」とジムは言う。「デヴィッドは私たちの人生に何年にも渡って多くの喜びを与えてくれている。」

(*)BYU(BYU – Brigham Young University):アメリカ、ユタ州にあるノンプロ(非営利目的)総合大学。末日聖徒イエスキリスト教会によるミッション系の大学で、酒タバコ麻薬、結婚外の男女関係が禁じられている、アメリカ1 堅物の多い大学と評価されている。
(**)キワニスクラブ:アメリカに本部を置く、奉仕活動を行う民間の団体。ライオンズクラブやロータリークラブなどと同じ。

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ひゃ~。こんなに長くなるとは思わなかった~(相変わらずヨミが甘い)。しかも文字だらけ。 最後まで読んだあなたは、偉い!!

ディザレット・ニュース(2008/4/15)

ユタ全州とアメリカの半分は、デヴィッド・アーチュレッタが次の「アメリカン・アイドル」になるよう応援しているように思われる。しかし、マレー高校の10代のベスト・フレンドの1人は、彼がそうならなかったとしてもショックを受けることはないと言う。

「彼がいなくてとっても寂しいのよ。(落選して)いつ帰ってきてもOKだわ。」とジェシカ・ジャッドは笑いながら言う。 これがどんなに大したことなのかは、文字通りマレー高校全体から見て取れる。学校中にアーチュレッタのポスターがベタベタ貼ってあるだけでなく、「I voted for David Archuleta」Tシャツまで売られている。

さらに、人気の「アイドル」が本当はどんな人物かを探るためにメディアが学校に押しかけている。(「アイドル」の中でライアン・シークレストが次のマレー高校のプロムでのアーチュレッタのお相手として紹介し、非常に困惑してカメラに写っていた彼の友人の1人、Mietra Aarabiは、FOXと、彼女にインタビューしないという契約を結んだという。)

「彼はTVで見るのと全く同じよ。シャイだわ」と、名前を伏せることを条件に友人の一人が言う。「だけど、彼が歌うのを初めて聴いた人はみんな驚くわ。」アーチュレッタの友人達は「sweet(良い子)」「genuine(誠実)」「humble(謙虚)」という言葉を繰り返し使う。TVから伝わってくる印象と同じ感じだが、これを「できすぎ」と見る視聴者もいる。しかし、彼を良く知る者たちは、決してそうではないと主張する。
「彼は、絶対に何も演じてなんていないわ」と中学生時代から彼を知る友人は言う。「あれが、デヴィッドそのものよ。」
「彼は本当に謙虚なの」と、アーチュレッタを「兄弟のよう」に思っているジャッドは言う。(彼らはクラスメートで、隣人で、同じLCD教会に通っている。) 「彼は本当に、本当にいい子だわ。まじめな話、彼ほど親切で、彼ほど誠実な人なんて見たことないわ。」

彼の謙虚さが演技でないことは明らかである。ジャッドは最近電話でアーチュレッタに、彼の応援にロス・アンジェルスに行こうかと思っている、と話した。すると彼は「その時まで残ってるかどうかわからないよ。もし残ってたらいいけど」って感じだったらしい。
これは、過去の「アイドル」でファイナリストになったカルメン・ラスミューセン(彼女はこのディザレット・ニュースに毎週コラムを書いているの)が、アーチュレッタとおしゃべりしていて、自分が来週残れると思うかどうかを聞いたときに経験したことと全く同じである。アーチュレッタは、その週に生き残れるかどうか疑問だと言った。

「彼が自惚れるなんてあり得ないわ。絶対にそれはないと思う」とジャッドは言う。「彼はそんな種類の人じゃないもの」

自分がアーチュレッタの友人だと語るティンエージャーは多い。「彼はとってもシャイな奴なんだ」とマレー高校の生徒会長、アダム・ウォードは言う。彼はアーチュレッタを良く知っているのだが、ベスト・フレンドであることを要求はしない。「でも面白い子で、みんな彼が大好きなんだ。」 「みんな、自分が彼のベスト・フレンドだって主張しているけど、でも本当に彼はそんなみんなの友達なのよ、正直なところ」とジャッドが言う。

アーチュレッタは、「スター・サーチ」で優勝して$100,000の賞金を得た後、12歳でマレーに移ってきた。その年齢の子によくあるように、誰も知らないところで新しい学校生活を始めることは少々気が引けるものだ。 彼は順応してくるにつれて、「殻から出てくるような感じ」だったと友人は言う。「でも、人の注意を引くのは嫌いだったわ」とジャッドは言う。「パーティとかでも、彼は人を楽しませるタイプじゃなかったわね。人に楽しませてもらう一人だったわ。」

アーチュレッタは、その見事な歌声を隠すことはしなかった。彼はタレント・ショーでその歌声を披露し、先生や同級生は彼に歌をせがみ、また学校の合唱団のメンバーでもあった。

彼の友人達にとって、隣人がアメリカNo.1のTV番組で歌うのを見ることは、非現実的な体験であるらしい。
「自分のよく知っている人がTVに出て、彼がステージに上がるだけでアメリカが大騒ぎするのを見るのは、すごく妙な感じだわ」とジャッドは言う。「でも、それを見るのはとても楽しいわ。彼はステージを明るくするわ。それを見ると幸せな気分になるし、彼をとっても誇りに思うわ」
たとえそのことが、彼を彼の故郷の友人達から遠く引き離すことになるとしても。
「彼がいなくてとっても寂しいわ」とジャッドは言う。「彼がいないと合唱団もそんなに面白くないし。合唱団のツアーに行ったけど、デヴィッドがそこにいないとそれほど面白くないの」

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記事中に出てくるアダム君。デヴィッドの一番の親友と言われている子と同じかな?(→別人でした。↓はAdam Ruben君です。) 素朴そうで、デヴィッドと波長が合いそう♪

シークレスト:今日はアダムに来てもらいました。彼はデヴィッドの本当にいい友人なの。マレーのね。あなたは8月にデヴィッドと一緒にキャンプ旅行に行ったのよね?
アダム:ああ。
シークレスト:暑かったんじゃない?
アダム:うん、いやそうでもないな。いい気候で涼しいくらいだった。
シークレスト:どんな感じだったか教えてよ。ほかの友達も一緒だったの?
アダム:え~、どうだっけ?確か・・
シークレスト:2人だけで行ったの?
アダム:いや、確か家族旅行で、そこに彼もいて・・だったと思うけど。
シークレスト:OK。で、デヴィッドはどんな感じだった。
アダム:おもしろかったよ。結構な量のキャンプ用品を持っていかなきゃならなくて、彼もバックパックを担いで。そうそう、彼は僕の兄(弟?)の帽子を被ってたんだ。山に向かって、そうだな5マイルほどのハイキングをして。そこでキャンプを張って、魚釣りとか居眠りとかしたいことをして。デヴィッドは、キャンプから少し離れたところに一人で行って、まあ、彼はOKだから誰も気にしていなかったんだけど、それから2時間もしてから戻ってきたんだ。その間、ひとりで思いっきり大きな声で歌っていたらしいんだ。僕は彼が本当に歌が好きなんだと思うよ。彼は何でも歌っちゃうんだ。旅行の間じゅうそうしてたな。あれは彼がカリフォルニアのオーディションから戻ってきた直後だったから、実は彼はハリウッドに行くことがわかってたんだ。でも誰にも言うことができなくて、僕らがそれを知ったのはその4ヶ月後だから。
シークレスト:でも彼は優れた歌い手なのよね?
アダム:ああ、もちろん素晴らしい歌い手だよ。
シークレスト:で?あなたたちは背後から彼にしのびよって「わっ」とかやったりして?
アダム:いや。それはプライバシーだし。彼が歌ってみんながそれを聴くっていうのはしょっちゅうあるよ、彼はそのくらい上手だし。
シークレスト:それが彼の最初のキャンプなのかしら?
アダム:いや、そうじゃない。前からスカウトとかで行ったことがあるから。
シークレスト:じゃ、経験はあるんだ。
アダム:ああ。

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スター・サーチ後、AIに現れるまでのデヴィッドについて、何かわかるかな、と思いまして同級生の声を紹介しました。

↑に出てくる「タレント・ショー」やタレント・コンテストっていうのは、中学校や高校で開かれる催しで、生徒が自慢のパフォーマンスを披露するようですね。

デヴィッドのタレント・ショーでのパフォーマンスがいくつか出回っていますので、紹介します。

① Angels – ヒルクレスト・ジュニア・ハイのタレント・ショーでのパフォーマンス
(8年または9年生、14歳または15歳)

※周囲に女の子ばっかりが座っているっていうのは、なんでまた?この子達が審査員なのかしらね。

② I’ll Be  - ヒルクレスト・ジュニア・ハイのタレント・コンテストでのパフォーマンス

(8年または9年生、14歳または15歳)

※声援がものすごくうるさいです。既に大人気なんじゃ?

このほかに、デヴィッドはこの時期、LDS教会関係のパフォも数多く行っています。こちらのビデオもいくつか出回っているので、年代順にご紹介。

③ For Good – 2005年12月

(カリフォルニア州オークランドのLDS Temple Vistor Center)

④ Silent night – ③と同じ

⑤ Angles – 2006年6月(LDSのEFY-若者向けの1週間の研修プログラム)

以下は、いつだかよくわからないけど、多分14・15歳のパフォだと思われるもの。

⑥ 1000 miles  時期不明(場所は自宅)

⑦ Could Not Ask For More (時期、場所不明)

こんなところでしょうかね?

16歳のパフォ(O holy night とかMary did you knowとか)はここには入れてないのよ。

みなさんの方がご存知かもね~。

(まだあったら追加します。)

◆◇◆◇◆◇◆◇

実は、2005年のメッセージボードの中で、いくつか取り上げなかった項目があるんです。

何となく皆知ってることかなあ、と思ってうっかり飛ばしてしまいました。でも、よく読むと知っているようで知らないことのように思われますし、私が判断しても仕方がないので、やっぱり紹介します。

■デヴィッド・アーチュレッタ 日付:2005/1/1

やあ、みんな!僕の誕生日を祝ってくれてどうもありがとう。とっても盛大なパーティだった。もちろんママが開いてくれたんだけど。11人が来てくれて、Scattergoriesとか、他にいくつか文字やリストを書くようなゲームをして遊んだんだ。それで皆が例えば詩とか歌、ギターなんかの才能を披露するんだ。何もできないときは、ただプレゼントを持ってきてもいいんだよ。両親からは新しいローラーブレードをもらった。

新年はうちでパーティをやって、泳いだり、スナックを食べたり、XBOXのダンス・ダンス・レボリューションていうゲームをしたり、他にもいろいろやった。とっても楽しかったよ。みんなも楽しいクリスマスと新年を迎えているといいな。

質問者:セラ 日付:2005/1/8
あなたが学校やいろんなところで一緒につるんでいたい男友達や女友達って、どんな人?

回答者:デヴィッド・アーチュレッタ 日付:  2005/1/9

やあ、セラ。僕には、特につるみたい特定のタイプの友達はいないなあ。でも、時に応じて僕は誰とでも(男の子、女の子、優等生、人気者、「未熟な(punk)」子、いろんな種類の子供達)仲良くやってきたと思うけど。でも、どちらかといえば優等生やクラスの人気者と一番上手くやっていけるかな。でもよくわからないな。僕はおとなしくて従順なタイプだから。

質問者:レナ・マリー 日付:2005/2/5
ねえデヴィッド、ずっと知りたいことがあったんだけど。一番恥ずかしかったことって何?ステージで歌っているときに失敗しちゃったことはある?わたしはあるわ。面目まるつぶれだった。

回答者:デヴィッド・アーチュレッタ 日付:2005/2/10

やあレナ。僕は何度も失敗しているよ。ホンジュラスに行ったときは、僕の出番の1時間くらい前から声が出なくなり始めたんだ。それで2番目の曲の途中で全然音が出なくなった。そのあと2日間くらいは、全く声がでなかったよ。囁き以外のどんな音も出せなかった。でも、僕のパフォーマンスの時にすこしは声が出ていただけでもラッキーだったと思うよ。結局は声が出なくなったからママがすぐにステージに上がってきてマイクを掴んで曲の残りを歌ってくれたんだけど。ママはちょうど僕の前に歌っていたから、みんなママが僕を助けたことをとっても喜んでくれたんだ。

ホンジュラスの街角で

ホンジュラスの街角で

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新年のパーティで「泳いだり」って言ってますね~。ってことは少なくとも かなづち ではなさそうですねっ!
※そういえば、デヴィッドは泳ぐ時に服を着ていたって、どっかで読んだような気がします。ただし根拠はない。

AIでも紹介していた「一番恥ずかしかったこと」ですが、↑って全然恥ずかしいことじゃないじゃありませんか!だって、誰が見たって不可抗力。むしろかわいそう、とか悲惨って類の話じゃありませんかっ。(AIで見た時は、わたしゃてっきり歌詞を忘れたとか、頭が真っ白になったって話かと思っていました。)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

■14歳のデヴィッドからのメッセージ

※デヴィッドの昔のオフィシャルサイトに残っていた、メッセージボードからの抜粋です。

う~ん、13�かも。

う~ん、13歳かも。

2005年3月までには、2つのQ&Aだけしかないのですが、なかなか興味深い内容です。
このころのデヴィッド、少し自信をつけてきていたのかな?

● サラ・リチャーズからの質問 日付:2005/3/11

デヴィッド、ジェシカ (*) に会ってどうだった?
ジャシカがアメリカン・アイドルで成功したのを見て、あなたも2、3年のうちに(AIで)勝てる自信がついたんじゃない?ジェイクは、ジェシカの成功についてどう思ってるのかしら?

○ デヴィッドの返事 日付:2005/3/15

やあ、サラ。ジェシカの成功についてジェイクがどう思ってるかはわからないなあ。僕は、ジェシカにはスターサーチのときにちょっとだけ会ったけど番組が終わるまで話すことも何も許されてなかったし。

それに僕の声は大分上手くコントロールできるようになってはきたけど、アメリカン・アイドルで勝てるかどうかはわからないなあ。でもファイナルに残る(※ファイナリストになる、の意味だと思います)ことはできると思うけど。でもアメリカがどう投票するかは予測不可能だから。タマイラやラトヤ、ジェニファー(・ハドソン)に起きたみたいに。彼女達はアメリカン・アイドルの中で僕のお気に入りだったのに、投票はいつも奇妙な方に転ぶからね。

●ニッキーからの質問 日付:2005/3/12

この前モールでダニー・オズモンドにあったの。彼は1週間ほど前にグラディス・ナイトに会って彼女のために歌ったって言ってた。
彼女はデヴィッドの歌にいたく感激して彼女の知り合い立ちがあなたのキャリアを伸ばす手伝いができないか興味を持っているそうじゃないの。
彼は、あなたが声変わりを上手く乗り越えたみたいだって言ってたわ。あなたの声は音楽的には3~4段階低くなったけど、今までで一番パワフルな声になったって。それで”Dream Sky High”を、あなたの今の声に合わせてキーを変えてレコーディングし直したそうじゃない。
デヴィッドはスタジオに戻って同時に2枚のCDに取り組んでいるって。1枚はオリジナルとカバー曲で構成される予定で、もう一枚はクリスマスCDだとか。彼らはこのプロジェクトのためにまだ曲のアイデアや曲を探してるそうじゃない。
それに新しい写真やビデオを使って別のデヴィッド・アーチュレッタのホームページを作る予定だとも言ってたわ。

○デヴィッドからの返事 日付:2005/3/15

やあ、ニッキー。随分詳しく知ってるね。でも、君の言うとおりだよ。みんな本当だ。今いろんなことに取り組んでいて、ドニーとグラディスにも会った。とっても楽しかったよ。
(*) ジェシカ・シエラ。アメリカン・アイドルのシーズン4でファイナリストになり、TOP10で脱落した。彼女もスター・サーチの出身。

http://www.americanidol.com/contestants/season4/jessica_sierra/

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残念ながら、メッセージボードはこれで終わり。

このときレコーディングしていたCD2枚は、いったいどうなったのかしら?というのがかなり気にはなりますが、発売された形跡はなさそうですね~。

このときからアメリカン・アイドル(シーズン7)のオーディションまでには、丸2年あります。

その間の彼は、果たして音楽一筋だったのか、または学校生活に戻って歌以外の側面にも目を向け、年相応の少年時代を謳歌したのか? 想像に任せる方がいいのかもしれませんね。

(といいつつ、何かわかったらきっと速攻でUPするに違いない私・・・。)

Chat No.3

巷の流れはまったく無視で、忘れたころのチャット No. 3です。

Toddさんが、今度Z100で実施予定のデヴィッドのチャットに絡めてFanSceneに3回分のチャットをすべて11/3にアップしていますので、みなさん、既にご存知かもしれませんね。

※したがって、チャットの原文は上記のリンクからご覧になれます。

2005年1月8日のチャット

※今回のチャット参加者はすべて実名が分かりますので、ハンドルネームは省略。

デヴィッド:やあ!
キャスリン:やあ、デヴィッド!
デヴィッド:遅れてごめんね。
トッド: 間に合ったな。図書館にいるのかい?
デヴィッド:そうだよ
デヴィッド:コンピュータが全部ふさがってたから、待たなくちゃならなかったんだ。
ウォルフ:やあ、デヴィッド
デヴィッド:チャットは山岳部時間で5:19分までできるよ。
ジョンE :やあ、デヴィッド
デヴィッド:やあ
ジョンE :いいね、20分間チャットできるってわけだ。
デヴィッド:みんな、調子はどう?
キャスリン:いいわよ。あなたは?
ウォルフ: 天気以外は、好調だな。
ジョンE:声帯麻痺がもう100%良くなって聞いたぞ。
ジョンE :よかったな
デヴィッド:そうだね・・
ジョンE:これ以上ないってリフができるようになったのかい?
デヴィッド:僕が100%回復したって、どこで聞いたの?
ジョンE:そうだな、彼らは100%とは言わなかったけど、そんなふうに理解したけどな。
デヴィッド:そう。
デヴィッド:リフは、ずいぶん上手くできるようになったけど。高音のリフだけができないんだ。
トッド:デヴィッド、僕がみんなに、君のAbravanel Hallでのクリップを見たら、君の声がかつてないくらい良かったって言ったんだ。だから100%って話になったんじゃないかな。
ウォルフ:「リフ」って何?
デヴィッド:えーっと。
デヴィッド:どう説明していいのかわからないよ。
ウォルフ: OK
ジョンE:「リフ」っていうのは大声で長く歌うことじゃないのかい?
デヴィッド:違うよ。
ウォルフ:それはアメリカ英語だね。.
デヴィッド:リックとか、ランのことなんだけど。.
デヴィッド:クリスティナ・アギレラのような。彼女は沢山リフを使ってる。
ウォルフ:OK。なんとなくわかった。
キャスリン:ええ、私もわかったわ。
ジョンE :オーランドもいたんだけど、奴は仕事に行かなきゃならなかったんだ。
デヴィッド:そう。
ジョンE:デヴィッド、君らはまだ君の初CDに取り組んでるのかい?
デヴィッド:まだ方向性が定まらないんだ。僕はポピュラー・ミュージックみたいな音楽のCDにしたいんだけど。
キャスリン:デヴィッド、ダニエルとクラウディアはどうしてる?
デヴィッド:ダニエルもクラウディアも元気だよ。
デヴィッド:いつもどおりクレージーだ。.
トッド:デヴィッド、まだピアノのレッスンは続けてる?調子はどう?
デヴィッド:ピアノのレッスンは続けてるよ。でもまだレベル3なんだ。
キャスリン:それはクールだわ。
デヴィッド:今は「Root Beer Rags」を1ステップづつ練習してるんだ。
ジョンE:ピアノのレッスンのレベルっていくつあるんだい。ご存知のとおり、私は音楽音痴でね。
デヴィッド:ピアノ本にいくつレベルがあるのかは、僕もはっきりわからない。
ジョンE :君のお父さんとお母さんも元気かい?
デヴィッド:パパは今仕事でラスベガスにいるよ。
デヴィッド:ママが「こんにちは(Hola!)」だって。
トッド:前回話したときは、君は電話でセス・リグのレッスンを受けてるって聞いたけど。それはまだ続けてるの?
デヴィッド:まだセスのレッスンを受けてるよ。彼はとても優れたボーカル・コーチだ。

デヴィッド:彼は、僕が頭声に到達して、それでフォルセットに入るのを助けてくれるんだ。
トッド:セスは確か本も書いてるね。昨日本屋でギターの本を探していたら、彼の本を見かけたよ。
デヴィッド:うん、彼はボイスについての本を書いてるよ。
デイヴィス:やあ、デヴィッド.
メイト:こんにちは、デヴィッド。
デヴィッド:やあ。
デイヴィス:デヴィスだ。
デイヴィス:君が歌うのを聞いたよ。すごい声だ。
メイト:デヴィッド、ファンアートコンテストで誰が勝つか教えてって言ったら驚く?
トッド:うーん、それはどうかな。コンテストには予想外の展開があるっていったの覚えてるだろ。
メイト:待ちきれないわ。
トッド:デヴィッド、僕からみんなに言ってもいいかい?
デヴィッド: どのアートワークもみんな見事だったよ。いいよ、トッド。
トッド:そうだな。デヴィッドはみんな気に入ったから、彼のために何かを作ってくれた全員にサインをあげたいそうだ。
デヴィッド:そのとおり。みんなにサインがいくよ。
ジョンE :優勝者は何がもらえるんだ?
トッド:僕は、みんなの好きな作品をプリントアウトして、それにデヴィッドにサインしてもらうつもりなんだ。
キャスリン:デヴィッド、みんなにあなたのサインをあげるっていうのは、いい考えね。

デイヴィス:デヴィッド、君はいま何歳なんだい?
デヴィッド:誕生日が12月28日だったから、今は14歳だよ。
キャスリン:わあ、お誕生日おめでとうデヴィッド。
デイヴィス:おめでとう!
デヴィッド:ありがとう。
ウォルフ:それで思い出した。YVSのデヴィッドのページの年齢を変更しなきゃ。
トッド:YVS はデヴィッドについていいページを作ってくれてるよ。
キャスリン:デヴィッド、新しいパフォーマンスの予定は?
デヴィッド:先週の月曜日にユタで州知事のためにパフォーマンスしたばかりなんだ。
デヴィッド:僕は国歌を歌ったんだよ。
キャスリン:わあ、すてき。州知事ですって。
ジョンE :そいつぁすごいな。
ウォルフ:クールだね。
デイヴィス:デヴィッド、君がフロリダの少年・少女クラブで歌って、ケイティはそこでダンスをしたってきいてるんだけど。
デヴィッド:うん、少年・少女クラブで歌ったよ。
トッド:ケイティはあの日、どきどきしながら踊ったんだよ。
キャスリン:デヴィッド、あの日のあなたは素晴らしかったわ。私たちはまだあのときのことを話してるのよ。
トッド:できればいつかデヴィッドが新しくなったクラブにまた来てくれるといいけど。その時はこの郡のクラブはみんな君に会いに来たがるだろうな。
デヴィッド:少年・少女クラブには、是非また行きたいよ。
デヴィッド:あ、もう5分しかないや。
トッド: OK、デヴィッド。
ジョンE :私もちょうと君の残り時間を考えていたところだよ。
デイヴィス:みんな、またね。
キャスリン:さよならデヴィッド。
メイト:さよなら、デヴィッド!
デヴィッド :さよなら!
トッド:ありがとうデヴィッド、ありがとうルーペ!!!!!
デヴィッド:こちらこそ。

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