★ TOP 7 (2008年4月15日) - パート1
● 曲目:「When You Believe」 by Mariah Carey
この日はトップ・バッターでしたね。
ランディ:よし、デヴィッド。今夜は男性陣が女性の曲を歌うってことで少々心配してたんだ。お前はもっとも難しい曲のひとつを選んだな。マライアとホイットニーの偉大なデュエット曲だからな。しかし、すごいな。いつも言うようだけど、お前は本当に何でも歌えるな。最高だぜ、ベイビー!
ポーラ:あなたの歌の解釈を聴いて、マライアもきっといい気分だと思うわ。彼女はとっても誇りに思って、喜んでるに違いないわ。
サイモン:僕も、みんなに賛成だな。君がこの曲を選ぶことに予め100万ドル賭けとくんだったな。最初の一節を聞いただけでこの曲だって分かったよ。とても良かったと思うぞ。でも今夜はそんなに笑うつもりはないけどな。まあ、いずれにしても君は笑ってるんだから。これが今日の基準だ。今日は男性陣の方が女性陣よりも楽だろうな。直接比較されないからな。実は、僕はこの曲のレコードでクリスマスに英国でNo.1を取ったことがあるから、良く知ってるんだ。君は本当に上手く歌ったよ。
デヴィッドのこのパフォーマンスは、前回のAngelsに比べて概ね好評でした。各メディアの反応も上々。とはいえ、イマジンの時ほどのべた褒めではなくなりました。
この時のパフォの最も平均的な反応は、以下の記事のとおり。
■AC (associated contents) の記事 (2008年4月15日)
“デヴィッド・アーチュレッタのWhen You Believeは、アメリカン・アイドルで輝いていた”
著者:Celeste Ray
先週のインスピレーショナル・ソングというテーマは、デヴィッド・アーチュレッタに不利だったと思う。彼はああいった心地良いバラードを歌うことで知られているのだから、いわゆる予想できる定番の罠に落ちてしまった。たとえ先週別の心地よいバラードを選んだとしても、彼が才能の別の側面を見せたかったのだとしたら、そうはならなかっただろう。デヴィッドにはその声で人の心を暖かくする能力がある。でも、それだけは彼は単に才能のある歌手の一人にしか過ぎない。
しかし、この夜は、予測できる選曲だったにもかかわらず、彼は例の予測できる範囲を打ち破り始めたのではないかと感じた。彼の今夜の選曲は、マライア・キャリーの(ホイットニー・ヒューストンとのデュエットで知られる) 「When You Believe」だった。この曲自体はデヴィッド・アーチュレッタから予測できる選曲だし、彼はいつも誠実なのだが、しかし今回は、本当に彼が心から歌っているように感じた。
批評の中で、サイモンは実にいいポイントをついた。男性陣は、マライアと直接比較されない分だけ少し有利である。そして、そのことがデヴィッドのパフォーマンスを本当に助けたと思う。私は彼がこの曲を完全に支配していたように感じたし、本当に、心底輝いていた。彼のボーカルは輝いていたが、しかし足りないものが一つあった。ステージ上で、彼のパーソナリティが欠落していた。
彼は、実にうまい歌い手としてステージに立っていた。でも、ただそこに立って歌っていただけである。表面上は、心から誠実に、上手く歌っていた。しかし、それを超える深みがなかった。
そうは言っても、私はまだ、デヴィッド・アーチュレッタはアメリカン・アイドル史上で最も優れたタレントの一人であり、今年のコンテスタントのトップである価値は十分にあると本当に感じている。たとえ彼がこの心地のよい/感動を与えるテーマを打ち破ることができなかったとしても、彼は確実に最後まで残るだろう。彼が今やっていることが、効果的なのは明らかだ。彼には、彼を支える膨大な数のファンがいるのだから。
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まあ、いわゆる個性欠落説ですね。メディアがこの枠に彼を押し込めようとしているのが伝わってきます。 そして、実際、ことはその通りに進みましたね~。
では、デヴィッドに心酔しているRascalさん(50代、男性)は、このパフォを一体どのように読み取られたのでしょうか?
■Rascalさんのブログ “nothing David”(2008/4/15)の後半2段落分
17歳というのは、芸術的で内向的な者には特に、とても難しい年齢だ。デヴィッドは賢いが、経験豊富ではない。彼は経験豊かでも世慣れたタイプでもないから、TOP 12のコンテスタント達がそろってプレスの前に出された時の彼に対する注目度と彼が置かれた状況の大きさは、彼に非常なショックを与えたと思われる。私は、あのとき、デヴィッドにとって物事がすべて変わったと信じている。メディアからの注目度と歌詞を忘れたパフォーマンスのワン・ツーパンチは、彼にはまるで津波が襲ってくるように感じられたことだろう。彼は、自分を立て直さなければならない、と突如悟ったはずである。大人にならなければ。真剣に考えなければ、と。デヴィッドが安全策をとるようになった、というメディアの批判が正しかったとしても、誰が彼を非難することなどできるだろう?
マライア・キャリーがデヴィッドのストライク・ゾーンに入っていたとしても、これは決してリスクのないパフォーマンスなどではなかった。私たちは、デヴィッドの中に新しく生まれようとする強さを目の当たりにしているのだ。彼は、逆境を乗り越えようとする自身の力を明確に認識した。それは多分彼自身を信じることであり、また「小デヴィッド」と言う考えをまとめてなくすことでもあったろう。 今宵、我々はデヴィッドが男になる瞬間を目撃した。彼が、力強い歌姫のバラードを、見事なフォルセットの高音と、クリスチャン・シリアノがランウェイに出品できるほどの荒々しい咆哮とで完成させたことは、彼がジャケットを着ていなかったという事実と同じくらい重大である。人は、ついに大人になったと実感したときには、そう見せたいという衝動が突然なくなるものだ。デヴィッドは自信という鉱脈を掘り当てた。TOP 12というモーニングコールを受けて以降、彼にはそれを掘り当てることが必要だったのだ。恐怖心のなさを取り戻すだけでなく、より深いレベルの真実を掘り当てることが。
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う~ん。ジャケットを脱いだことにそんなに深い意味があったとは! たぶん、デヴィッド自身も知らないと思うわ。
むしろ革のパンツ(訂正:ウールのパンツだそうです)のポケットに携帯電話(?)を入れたままステージに立っていることの方が、彼自身を表しているような気もするけどね~。
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