■Davidの知人、Toddさんのブログ記事

私が初めて個人的にデヴィッドとその家族に会ったのは、2004年の5月のことだった。その時、私はフロリダ州のウエリントンでBoys & Girls Club(少年・少女ケア施設)のソーシャル・レクリエーション・ディレクターをしていた。そこはウエスト・パーム・ビーチの西南にある小さな乗馬コミュニティーだった。その日は「終業式」パーティで、デヴィッドとその家族は来賓として招かれていた。アーチュレッタ一家が到着した頃には既に建物の中に約100人の小学生が集まっていて、さらに学校からバスが刻々と到着していた。旅に疲れた家族が到着した時、私が雇ったDJは、ちょうどケリー・クラークソンの「A Moment Like This」を流していた。
ピザが早く届けられたので、おなかをすかせた子供達に先に食べてもらうことに決めた。デヴィッドは、ピザの給仕を手伝ってもいいかと聞いて、カウンターの裏に入ってカウンセラーを手伝い始めた。

それが終わると、アーチュレッタ家族はようやく座ってピザを食べることができた。うまい!

食事が終わり、DJが音楽を流してみんなを楽しませはじめると、Lupeとデヴィッドがダンスを踊リ出した。

みんな楽しんでいた。Lupeがマイクを握ると子供達がわくわくしはじめ(デヴィッドはContigo en la Distanciaを歌おうとはしなかったけどね)、彼女はコンガを歌ってクラブを楽しませた。

祭りもたけなわになってきた頃、女学生のダンス・チームが到着し、舞台のそでで、舞台衣装のかっこいい新しいDA Tシャツが配られるの待っていた。

彼女達は、数週間に渡ってデヴィッドの「Don’t Tell Me」のデモにあわせて振り付けを練習してきたのだ。緊張はしていたが、披露するのが待ちきれないようだった。

デヴィッドはこのパフォーマンスを楽しんでいるようだった。でもクラウディアは少し、そうだな、注意散漫だった。

そしてとうとう、待ちに待った瞬間がやってきた。デヴィッドが歌うときだ。彼は、用意してきた曲、4年後に彼を世間に大きく知らしめたあの曲、ジョン・レノンのイマジンを歌った。

子供達のほとんどはこの曲を知らなかったが、デヴィッドの声の清らかさは信じられないものだった。子供達は、最初はすすり泣き、それから静かになり、そして称賛の嵐になった。これらすべてがまさに一瞬のうちに起きた。
デヴィッドがパフォーマンスを終えてマイクから離れて歩き出すと、たちまち10代とまだ10歳に満たない称賛者たちに取り囲まれた。両親が子供達を写真撮影のポジション押し込むと、彼は神経質そうににこっと笑った。
最後に、彼はテーブルに座り、私は子供達をサイン待ちの列に並ばせた。

デヴィッドとその家族は、それから数時間ほど野球をしたりして楽しんでいた。デヴィッドは、カウンセラーたちがパーティの後片付けをするのを手伝い、ゴミ箱を運び出し、ピザの空箱をゴミ収集箱に入れる手伝いまでしてくれた。
Boys & Girls Clubの上に日が落ちる頃、アーチュレッタ一家は帰路に着いた。
今まで歩んできた道がどのようなものだったかを振り返って。

「Toddへ。僕をサポートしてくれて、Clubに招待してくれてありがとう!」
David Archuleta (ぶたさんマーク??)
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この右端の方がそのToddさんです。

で、この方が今何をしているかというと、ティーンエージャーを数名従えて、デヴィッド応援サイトDavid Archuleta Fan Scene を運営していらっしゃいます。
その前は、デヴィッドがこれほど有名になる前のデヴィッドのウエブサイト「Official Street Team」を2004年から運営していたようです。
このサイトは今はもう存在していません(ぐっすん)。でもサイトの表紙のページだけ見れます。結構いいのよ。↓

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こういった催しへの参加が、LDS教会のミッションなのか、ボランティアなのか、はたまた営業活動の一環なのかはよくわかりません。 David Archuleta Tシャツは何となく自腹で用意していったように思われますが・・ね?
ママもお姉ちゃんも妹もこのTシャツ着てるのに、やっぱり本人は着ないのね。それとも女物限定でつくったのかな?
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