■Salt Lake Tribune 2008年4月28日
※※ 注意 ※※
○元記事は既にアーカイブ入りしていて、有料じゃないと見れないので、訳文だけの掲載です。あしからずご了承ください。
○少々長いです。時間のある時にお立ち寄りください。
『かつては恥ずかしがりやだったユタのデヴィッド・アーチュレッタが、
スポットライトに飲み込まれた』
デヴィッド・アーチュレッタが歌えることを、誰もが知っていたわけではなかった。いま、アメリカじゅうがそのことを知っているようには。
2006年6月のとある乾いた日、「17歳のアメリカン・アイドル」現象が代名詞になる以前のデヴィッドは、数十人の十代の若者達と共にワイオミング州Martin’s CoveでのLDS教会の若者会議を終えて家に帰るバスの中にいた。友人達が彼に歌をしつこくせがんだ。
「彼は恥ずかしがって『だめだよ。ウォームアップしてないんだ』って言っていたわ」と若者のリーダーのジュリー・ランドバーグ。「でも、みんながあらゆる種類の拍手してせがんで、私が『彼らはあなたが歌うまできっと放してくれないわ』って言ったのよ。デヴィッドはとうとう折れて、バスの運転手のマイクをつかんだの。そして彼の優雅な歌声が静寂に満ちたインターコムシステムから流れ出したわ。彼はロビー・ウイリアムズの「Angels」を歌ったのよ。彼が「アイドル」で歌ったのと同じあのインスピレーション溢れるバラードよ。
あれは素晴らしかったわ。バスの中はもう静寂に覆われていたわ。まるでみんな「うわあ」って感じだった。」
それから2年後、デヴィッド・アーチュレッタはスターダムへと向かっている。2ヶ月前に「アメリカン・アイドル」で初めて2500万人の視聴者の前で1961年の大ヒット曲「Shop Around」を歌って以降、デヴィッドは「アイドル」の優勝候補になった。
今や5名のコンテスタンツを残すのみとなったが、柔らかなバラードと子供っぽいしぐさで知られるマレー出身のティーンは、ミズーリ出身の実力派でデヴィッド・アーチュレッタとは対極をなすロッカーのデヴィッド・クックと、ファイナルで顔を付き合わせることになりそうである。
「彼がステージに上がると、その途端に別世界になるの」とマレー高校2年生で彼の友人のシャンテル・ハンセン(17歳)が言う。「彼は音楽への純粋な愛だけでそれをするのよ」。
デヴィッドは、いつも音楽に夢中だった。父親のジェフ・アーチュレッタがフロリダでPBSの放送を録画した「レ・ミゼラブル」のビデオを、ユタの新居で荷解きしている間に子供達に見せて以降は特にそうなった。 この時6歳だったデヴィッドと彼の弟のダニエル(デヴィッドには3人の姉妹と弟がいる)は、このビデオを繰り返し見て、デヴィッドはすぐに心ですべての曲を覚え、コックニー訛りまでマスターした。
デヴィッドは才能を両親から受けついでいる。ジェフはジャズとラテンのトランペット奏者であり、ソルトレーク・シティにある D.B. Cooper’sなどのクラブで演奏していた。彼は、ホンジュラスのラ・セイバ出身のポップ/ラテン歌手である妻のルーペと一緒に出演もしていた。このカップルの第二子は、マイアミで生まれた。彼は1997年に家族がユタに引っ越すまでそこで育った。フロリダでは、ルーペがピアノを伴奏してデヴィッドに「The Little Drummer Boy」などの歌を教えた。彼はそれらの曲を即座にものにした。デヴィッドは簡単なピアノのレッスンも受けたが、家族や友人によればデヴィッドの能力は本能的なものだという。
「彼にはスタイルと表現をつかむ驚くべき能力がある」とデヴィッドのボイス・コーチであるディーン・ケーレンは言う。
4~5歳の時に、デヴィッドは、彼の夢にそって、彼がピアノで弾く曲を作曲した。ミュージカルへのやむことのない興味から、アンドリュー・ロイド・ウエバーの「エビータ」や「キャッツ」の曲をマスターした。8~9歳の頃は、教会のイベントや家族の集まりなどで歌を披露していた。
デヴィッドには才能と音楽的洞察力があったが、自信が欠けていた。彼に近しい人々は、彼は自分自身のことを、観客が彼の歌声を聞きたいと思うような優れた歌手だとは決して思っていなかったと言う。そして、彼が群集の前で歌うことを嫌っているのは明らかであった。「彼は、彼自身のもっとも厳しい批評家ですよ」と、家族の友人であるブレット・ヘイルズは言う。
しかし、2001年、デヴィッドが10歳の時に母親が彼を州のタレントショーで歌わせた時にすべてが変わった。彼がコンテストで歌ったのは、これがはじめてだった。そして、まったく知らない群集の前で歌うのもまた、初めてであった。
ホイットニー・ヒューストンの「I Will Always Love You」を歌うためにソルト・パレス コンベンションセンターの舞台に上がる前に、デヴィッドは不安発作を起こした。泣いて出るのを嫌がったが、出演までには2分しかなかった。デヴィッドと父親は簡単な祈りを唱え、そして少年は落ち着きを取り戻した。そして彼はスタンディング・オベーションを受け、優勝して200ドルの賞金とトロフィーを持ち帰った。しかし、さらに重要なのは、彼が観客の前で歌う勇気を勝ち得たことだった。
その1年後、彼は「アメリカン・アイドル」を知る。2002年のシーズン1は彼をとりこにし、デヴィッドは、曲を心から覚えるまで何度も何度も録画したエピソードを見続けた。特にタマイラ・グレイの「And I’m Telling You」を。シーズン1の後半で、彼はハリウッドのホテルでコンテスタント達に会い、ケリー・クラークソンにその歌を披露した。この瞬間を撮影したYouTubeのビデオは有名である。
彼がCBSの番組「スター・サーチ」に出演したのはまだ12歳の時だった。デヴィッドは即座に審査員を魅了した。 「あなたの歌を聴いていると天国にいるようだわ」と審査員の一人、カントリー歌手のナオミ・ジャッドは言った。「あなたは、本物よ。」
デヴィッドはこの番組で $100,000の賞金を得た。この賞金は、彼の家族がデヴィッドのためにレコーディング機器とフロリダの不動産を購入するのに使った。
彼はスター・サーチの「チャンピオン大会」に挑んだが、デヴィッドの片側の声帯の麻痺が進行し、週を追うごとに歌うことが困難になっていった。そして、ファイナルの直前に敗れてしまった。
「あのスター・サーチの後半は、彼の声を維持するために一緒になってできることはすべてやりました」とボイス・コーチは言う。彼の家族は、彼に休養を与えたがった。「彼は、『僕は学校に行って、普通の子供のようになりたいんだ』と言っていました」とデヴィッドのモルモン教のビショップであるマイケル・ランドバーグは言う。
デヴィッドは、幾夏かをローラーブレードで近所を遊び回り、時々頼まれると歌うために立ち止まりながら過ごし、良い子の評判を得ていった。
「ある日、彼が玄関に来て落ち葉を掃除してもいいか、って聞くんです」と近所に住む Amy Goeckeritz。「彼は私が妊娠していて臨月だって知っていて、それで掃除してくれたのよ。私は何かお支払いするわって言ったけど、彼はアイス・キャンディ1つ受け取らなかった。彼はそれから少なくとも2~3回は来てくれたわ。呼び鈴も鳴らさずにただ掃除だけして行くの。」 「クリスマスのたびに、うちにきて歌ってくれるのよ」とデヴィッドの日曜学校の先生だったSherry Madsenが付け加える。「私はデヴィッドには決してお金を渡せないことを学んだわ。彼はまるで、そう頼まれるのがワクワクすることであるように振舞うのよ。彼は、彼の音楽に対する愛を広めているの。そして、それは彼がそうしたいと望んでいることなのよ。」
彼が16歳になって、「アイドル」に出場できる最小年齢に達すると、デヴィッドはサンディエゴでのオーディションに挑戦し、番組へと出演した。最近のデヴィッドは、番組が続いている間、父親と一緒にロスのアパートに住みながら、毎週毎週リハーサル、写真撮影、エピソードのインタビュー、ケーレンとの発声練習、それにその週の音楽のアレンジに関する父親との作業に追われている。「彼らには、他に何かする時間なんて全くないのよ」とロスにデヴィッドを訪ねたコートニー・ヘイルズ(18歳)が言う。「でも彼は本当によくやっているわ。彼はこれを競争だとは思ってないの。彼はただ歌って楽しむためだけにそこにいるのよ。」
デヴィッドがスターダムに登りつめることは、楽しいことばかりではない。インターネットのタブロイドでは、ジェフ・アーチュレッタがレコーディング中にとっても厳しい要求を突きつけてデヴィッドを泣かせているといった根拠のないレポートを流している。先週の「Today」のインタビューでは、スター・サーチの審査員だったジャッドが父親に「彼をひとりにしてあげて」と嘆願し、ジェフを「最悪のステージパパ」と呼んだ。彼女は、スター・サーチの時にガードマンが彼をセキュリティ「ボックス」に閉じ込めたとまで言った。しかし、友人達はジェフを弁護する。彼は面倒見のよい父親であり、ジャッドには会ったことさえないのだ、と。
「ジェフには、どうして彼らがそのような印象を持ったのか見当がつかないんだ。でも彼はこれには相当傷ついてるよ。」と家族の友人のヘイルズが言う。
「私は録画のために2度ほどその場にいたけれど、セキュリティ「ボックス」なんてものは存在してなかった」とケーレンが付け加える。「ジェフとルーペはいつもほかの親達と一緒に座っていたよ」
新しく誕生したスターの生活とはそういうものである。
今のところデヴィッドは、来月のファイナルまで「アイドル」の称号だけに目を向けて歩み続けている。 第三者は、彼の音楽がどの方向に向かっていくのか、まだわからないと言う。ポップ、アダルトコンテンポラリ、啓発、あるいは十代のマーケットを直接魅了するのか? ヘイルズによれば、レコード会社の重鎮達が、番組後のデヴィッドとの契約を勝ち取ろうと既に列をなしているとのことだ。
デヴィッドが、末日聖徒イエス・キリスト教会の2年間のミッションのために、1年以上そのキャリアを中断するかどうかはまだわからない。デヴィッドのモルモン教のビショップであるランドバーグは「それが彼の選択であると固く信じています」と言う。「私は、彼がそうしたいと強く望んでいることを知っています。彼はそうしたいと考えていると思いますよ。」
しかし、ケーレンは、デヴィッドの「ミッション」は音楽で聴衆を感動させることであり、したがって彼は19歳のモルモン教徒の重要なマイル・ストーン(であるミッション)を先んじて行っているのだと考える。 「彼がこれをどう認識しているかはわかりませんが、彼は今すでにミッションについているんですよ」とケーレンは言う。「人々は、彼によって自分がどんなにインスパイアされたかを語っています。彼は既に救いを行っているんです。」
いずれにしても、友人と家族は、彼らのよく知るこの10代の少年が地に足をつけたままでいることを望んでいる。だが、だれも本気で心配はしていない。
デヴィッドは近頃レコーディングスタジオでカニエ・ウエストと一緒になった。彼はこのラッパーに会いたかった。ウエストは、デヴィッドの側を通り過ぎる時にデヴィッドに気付かなかった。そして、この十代の少年ときたらカニエに声をかけるにはシャイすぎた。「彼は自分がどんなに大物なのかをまったく理解していないと思いますよ。」とケーレンは言う。「デヴィッドは今アメリカ最大の番組に出演しているのに、彼ときたらまだスターにあこがれているんです。彼は、人々が彼のことを(スターと)同じように見ているなんて思ってもいないでしょう。彼はきっと今後もそう思うことなどない、と私は思いますよ。」
(おわり)