2008年5月6日のBillboard.comのQ&Aの中で、デヴィッド自身が自分の音楽歴について詳しく語っていますので、ご紹介します。
実は、デヴィッドが声帯麻痺の頃について、こんなに具体的に話しているインタビューがあったことを、私、最近まで(実は昨日まで!)知りませんでした。 5/6と言えばAIではTOP4の時期で、その頃はデヴィッドのパフォーマンスにしか目が行ってなかったですからね~。
皆さんはもうとっくにご存知かもしれませんが、とっても素敵なQ&Aなので、是非紹介させてください。
出典はこちら⇒ http://www.billboard.com/bbcom/search/google/article_display.jsp?vnu_content_id=1003799422
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Q: ニール・ダイヤモンドはあなたを神童と呼び、多くの人があなたには音楽的才能が溢れていると言っていますが、このことについて、あなた自身はどう思いますか?
デヴィッド:僕はまだ、「君は、いい歌い手だ」と言われると奇妙な感じがする。僕自身は自分をそんな風に見たことはないから。僕自身は、自分は音楽が大好きで、音楽を自分の感じるままに愛し、解釈しようとしている、と思っている。
Q:あなたはいつも曲の歌詞に感情的につながっているように見えますが。
デヴィッド:まだ小さい頃の僕は、自分の歌の何が他と違っているのか、また自分がどんな風に歌ったのか、分かっていなかった。今でも完全に分かっているとは言えないけど。でも、以前に比べて、今の僕には歌詞が非常に重要になってきている。まだ12、13歳頃の僕は、歌詞には全く注意を払っていなかった。歌詞に関心を持つようになったのは、多分「スター・サーチ」に2年目参加した頃だと思う。それまでは、音楽そのものに十分なパワーがあると思っていた。でも今では、パワフルな歌詞にも音楽と同様に非常な力があることがわかっている。そして、それを理解したことで自分も進歩したと思っている。
Q:オンライン上では、あなたがアメリカン・アイドルのシーズン1のファイナリストにハリウッドのルネッサンス・ホテルで会った時のビデオが人気になっています。この状況はどうやって起きたんですか?
デヴィッド:僕はアメリカン・アイドル(シーズン1)に夢中で、その中でタマイラ・グレイが「And I Am Telling You I’m Not Going」を歌ったんだ。それを見て、僕は感情のこもった(ソウルフルな)音楽、表現豊かな音楽というものに初めて目覚めた。それからというもの、テレビデオで何度も繰り返してアメリカン・アイドルを見て、ケリー・クラークソンやタマイラに合わせて歌った。僕が本当に聴いたのはこの2人だった。彼女達のように歌う人をそれまで見たことがなかったからね。おかげでパフォーマンスって何なのか、歌に入り込むってことが何なのかを知ることができた。
その後、僕は未来のラテン系スターのための「Jenny Jones」ショーで「And I Am Telling You」を歌った【※このショーでは、シーズン1のファイナリストAJ・ギルを特集していた】。僕は11歳で、叔母と僕はホテルの外でAJのところに走って行ったんだ。AJは、(タマイラが僕の人生を大きく変えたんだから)「君にタマイラを紹介したいから、中に入って」と言った。そこで彼女の前であの歌を歌ったんだ。ちょっと怖かったけど、同時にやった、って感じだった。その後で彼らが僕を他のファイナリストの前で歌わせて、それからケリーとジャスティンが来て、また彼等の前で歌って。あれはクールだったね。あの時点で、ケリーはまだ優勝してなかったんだから。
Q:シーズン7の最初の頃に、あなたは数年前に声帯麻痺を患ったと言っていますが、その時、二度と歌えなくなるんじゃないか、と心配しませんでしたか?
デヴィッド:僕が声帯麻痺に気付いたのは「スター・サーチ」の翌年だった。その時は本当に苦しくて、1分半の歌を通して歌うのがやっとだった。それで「もう、これ(歌)はできない」と思ったから、その後休養を取った。なかなか歌うことができなくて、声域も戻らなかったし、これが永遠に続くのかどうかも分からなかった。僕にはこれが何なのか全く分からなかった。自分の声帯が麻痺する可能性があるなんて知らなかった。でもそれからしばらくして「もう一度歌わなきゃ。僕は本当に歌が好きだ」と思った。僕にとって、「歌うこと」にはそれ以外のどこでも得ることができないものを感じさせてくれる「何か」があるんだ。それからの僕は、もうどこででも歌い続けた。例えばStadium of Fire (*)とか。ユタでは7月4日にBYUスタジアムでこれをやるんだ。
それからしばらくして、声が戻り始めた。声域も徐々に広がり出した。そこで、改めて今の自分に何ができるかを把握するように努めた。僕は誰だって歌うことができると思っていた。多くの人が歌う能力を持っていて、大きくなればなるほど多くの人が歌えるようになるって。
今、少し曲を書きはじめているんだけど、これは本当に楽しいね。まだ本格的にやり始めた、とは言えないけど。もう少し真剣にやりたいな。アメリカン・アイドルの中で、自分の声にどんな曲が最もしっくりくるのかを探したり、アレンジをしたりした経験は、とっても役に立ったと思っている。自分にもっと曲が書けるかどうか見てみたいな、まだ3曲しか書いてないからね。
(*)アメリカの独立記念日を祝って、たくさんの花火を打ち上げるイベント
Q: ソングライターとしては、誰かの助けを借りたんですか?
デヴィッド:まずはメロディと歌詞を自分だけですべて仕上げて、それから音楽に作り上げるために人の助けを借りた。いくつかのトラックを作ったんだけど。彼はきっと僕のことが嫌いだろうな。だって僕が何か説明しようとすると、永久の時が必要になるからね。「いや、そうじゃない。それじゃない。それは忘れて」って感じ。彼は本当に良い人だったよ。曲作りがはじめての人間に、とっても辛抱強くしてくれたからね。
Q: 一番最初の音楽に関する思い出は何ですか?
デヴィッド:パパはいつもトランペットを吹いていて、ママがママの姉妹と一緒に歌っている、っていうのが、最初の思い出かな。まだ小さな子供だった頃、ママがママの姉妹と一緒にいろんなところで歌っていたのを覚えているよ。
トランペットは嫌いだった。すごくうるさくて、家中に鳴り響いていたからね。今はジャズが好きだけど、あの頃はジャズって言うのはパパがトランペットをできる限り大きく鳴らすものだ、って思っていた。いつも耳を覆ってたなあ。音楽が僕にとって重要になったのは、多分パパの持っていた「レ・ミゼラブル」の10周年のビデオを見たときだと思う。完全に魅了されちゃった。6歳か7歳頃だと思うけど。
Q: 音楽以外のキャリアを考えたことはありますか?
デヴィッド:歯医者について調べたことがあるけど僕向きじゃなかったね。それから、耳鼻科のお医者さんっていうのがいいなあ、と思い始めた。音楽で何かできなかったら、少なくとも音楽を使って人の役に立ちたいと思う。僕が声帯麻痺でお世話になった耳鼻科の先生達は、本当に良くしてくれたから。自分に起きた問題をどうやって解決できるかがわかったら、それは素晴らしいと思う。僕はずっと鼻炎に悩まされているし、聴力と声にも何か問題がある、って確信してるから。
Q: 大学には行きたいですか?
デヴィッド:行きたい。自分が何に興味を持つのかかが見てみたい。音楽は、僕が決して諦めることのない「何か」だってことはわかっている。ただ、他に自分が興味を示す職業が何かあるかってことを知りたいんだ。まだわからないけど。いつも僕の周りには音楽があったから、他にはあまり目を向けてこなかったんだ。特に今はコンテストの真っ最中だから、音楽しか考えていないしね。他の事に集中する時間は本当にないんだ。
Q: あなたのお父様に数ヶ月前にお会いした時に、あなたはビルボードのチャートブックにとても興味を持っている、ってことでしたけど。
デヴィッド:アメリカン・アイドル用の多くの歌をそこから見つけたよ。今まで聴いたことのない多くの歌をね。僕はチャートブックで見るまで「One Sweet Day」さえ知らなかったんだから。16週間も1位だったのに、だよ。ビルボードのチャートブックが僕に与えた影響は大きいよ。友達と一緒によく見ていた。僕があんまり詳しいから、みんな僕が異常だって思ったんじゃないかな。
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ビルボードQ&A (2008/5/6)
AI以前のDavid Archuleta, アメリカン・アイドル時代, インタビュー へ投稿: 12月 29, 2008 | 5件のコメント »