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‘AI以前のDavid Archuleta’ カテゴリーのアーカイブ

チチロー風のタイトルですが、中味はQ&Aです。ルーペママの子育て論が垣間見えます。ライコスにはママさんも大勢いらっしゃるようなので、私とは違う見方があるだろうな、と思い、紹介しちゃいます。
■ 質問者:タレント番組のファン
日付:2004年5月5日
ブラボーTVの「Show Biz Moms and Dads(ショービジネスのパパとママ)」で特集されていた家族を知っている人がいたとしたらごめんなさい。でも私は大いに意気消沈してしまったの。 私は「リアリティ番組」がいかに真実をねじまげるかは理解しているわ。でも「オプラ」のナッターさんを見た後じゃあ、私が「ショービジネスのパパとママ」で見たことこそが彼らの真実だって、確信を持って言えるわ。父親が子供にかける自分の夢についてどうしてあんなに饒舌に話すことができるのか、だれか説明してくれないかしら。子供達が彼から10フィートも離れていないところで泣いているっていうのによ!アフリカ系アメリカ人の母親を除いては、この番組に出演する親はみんな何にもわかってないどころじゃないわ! 何か意見ありませんか?
注記:上記のナッターさんの回の放送内容は2004年ということもあり、具体的にはわかりません。ただ、結構批判を浴びた回のようで、父親が我が子をショービズ界のスターにさせようとするあまり、子供にスパルタ教育を押付けている、という内容だったようです(で、子供が嫌がって泣いている)。こんな父親は言語道断という意見がいろんなブログに書かれていました。
■ 回答者:ルーペ・アーチュレッタ
日付:2004年5月5日
わお!
そうね、私はあの父親が、子供達に責任と一生懸命やるってことを教えているつもりだ、って言ったときには賛同したけど。
でもね、子供が子供であるのは一度っきりなのよ。これらのバランスをとろうとしたら、どうなるかしら?遊ぶ時間、歌やダンスの練習をする時間、隣人を助ける時間、いろんな時間があるわ。
デヴィッドは一生懸命やってるけど、私たちは彼が遊ぶことにも一生懸命になれるように、それに家族や友人と一緒に過ごしながらただ子供でいることができるようにしているつもりよ。彼は耳鼻咽喉科の医師にもなりたいって言ってるし、自然が好きだから獣医にもなりたいみたいだし。彼は人生の中でとっても多くのことを楽しんでいるわ。私たちは彼に、歌以外にも他のことを楽しんで欲しいって話しているの。
あのかわいそうな4歳の子供のように何人もの子供たちが両親によってショービジネスで成功するために極端に追い立てられるっていうのは、残念な事実だわ。
精神(spiritual)と感情(emotional)のバランスを保つことが「絶対」だわ。
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私としては、ジェフパパはきっとルーペママに頭が上がらないように思えるので、ママの教育方針がそのままデヴィッドに反映されているんじゃないかなあ、と勝手に考えているのですが。
ジェフパパは、自分の夢(プロのミュージシャンになること)をおじいちゃんの説得で諦めてるから、子供に託す思いが強く出ても不思議じゃない位置付けにあると思います。実際、どうなんだろう?
◇◆◇◆◇

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■ 2003年3月のデヴィッドの日記
2003年3月1~28日
家に戻ったら調子がだいぶん良くなったので、ディーン・ケイリンとアンジー・ミケルソンのボイスレッスンを何度か受けた。二人ともとっても素晴らしい先生なんだ。僕がこれまでよりも高いレベルで歌えるように手助けしてくれて、それがとっても楽しいんだ。いくつか新しい曲にも挑戦したけど、ファイナルの数日前にスター・サーチから歌う曲を尋ねる電話がかかってきた時には、まだ何を歌うか決まっていなかった。だから、数曲を伝えたんだ。
それからの数日間でちょっと気持ちが変わって、でも最終的には”You’re All I Need to Get By”が一番いいだろうって決めた。前回4点しかくれなかったナオミとベンから5点もらえるかどうかが見たかったからね。
ファイナルの数日前にハリウッドに戻って、ファイナルに出演する人たちに会った。モリーと彼女の家族はみんなとってもいい人で、アンジー先生の授業でも仲良く過ごした。彼女は、僕のお姉ちゃんのクラウディアによく似ていて、とってもおしゃべりでいつもテンションが高いんだ。二人が近くにいると、とっても楽しいよ。ファイナルの日は、戦争(※1)のために番組が本当にあるのかどうかがよくわからなかった。でも何はともあれ収録することにしたらしい。
番組では、僕の名前を書いたサインボードを掲げている人がいたのでとっても緊張して、心配になった。だってサインボードを見たら僕はきっと笑っちゃうから。だから、みんなに僕が歌い終わるまでボードを見せないでって頼んだんだ。それからステージに出て歌ったんだけど、歓声が大きくて音楽がよく聞こえなかった。でも自分ではとっても上手くできたと思った。ナオミとベンの得点にはどきどきしたけど、2人ともついに5点をくれたのには「本当に」驚いた。歌い終わってから、モリーが泣いているのをみて、僕も泣き出してしまった。彼女が勝利目前で負けたのがとってもかわいそうで。彼女の家族もとってもいい人たちなのに。
それから収録が中断されて、すごいことが起きた。リアン・ライムスが国歌を歌ったんだ。すごく素晴らしかった。これはとても特別な出来事で、観客席もみんな特別な感情に支配されていた。ナオミが祈りを捧げ、観客が黙祷した。祈りのあと、皆が帰って僕達も外に出た。
大勢の人たちが僕らを待っていてくれた。サインボードを持って僕を応援してくれた人たちの中を歩いた。おじいちゃんとおばあちゃん、それに僕がアブエリータ(※スペイン語でおばあちゃんの意)って呼んでいるもう一人のおばあちゃん、それにマーサとパパの友達が来てくれた。ラウリおばさんも、友達のマリアと彼女の子供達、家族それに友人と一緒に来てくれた。彼らが僕の名前を書いたポスターを作ってくれて、それが番組で写ったんだ。
それからホテルに戻って放送を待ったけど、その日は結局放送されなかった。僕らは番組が見れなくてちょっとがっかりした。翌日はママとクラウディア、ダニエル、それにアブエリータ、マルタと一緒にコダック・シアター周辺の観光に出かけた。ちょうどアカデミー賞の受賞式で、巨大なオスカー像が飾られていて、あちこちにレッドカーペットが敷かれていた。でもたくさんの警官がいて、近づいて見ることはできなかった。次の日、家族のみんなはユタに帰って、僕とパパは残ってユニバーサル・スタジオに行った。土曜日だったけど、とっても楽しかった。僕は、バック・トゥー・ザ・フューチャーとターミネーター2、それにジェラシック・パークが気に入った。アニマル・プラネットのショーもとっても良かった。
家に戻った次の日は、運悪く病気になって歌うことも何もできなかった。僕らは、収録に戻って残りを終わらせるんだろうと思っていたんだけど、スター・サーチは、最後の回には僕らを呼ばないということだった。でも、とりあえずカリフォルニアに行って、いくつか他のことを片付けて、できればスタジオで少しレコーディングしたり、何人かの人に会ったりするつもりだ。
この数ヶ月間に僕がどのように感じたかをまとめると、ずっと病気だったけど、楽しいことも一杯あった。大勢の人が僕にとっても良くしてくれて、僕が歌うのを助けてくれたことには本当に感謝している。スター・サーチに出演できて、たくさんの人が僕が番組で歌うのを気に入ってくれたことは本当に幸せだった。新しいホームページができたのも嬉しい。今後はみんなとオンラインチャットができるようにするつもりなんだ。オンラインチャットについて知りたい人は、僕にメールをください(※2) 。できるかぎり返事をするつもりだし、僕の歌手活動に何か新しいことがあったら必ず知らせるよ。
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(※1) イラク戦争のことです。スター・サーチのファイナルの正確な収録日はわかりませんが、次のいずれかの日に当たったものと思われます。
3月17日 – ブッシュ大統領がイラクに対して、テレビ演説で最後通告。
3月19日 – 米英軍による空爆「イラクの自由作戦」を開始。
3月20日 – クウェート領内から、地上部隊がイラク領内へ侵攻を開始。地上戦が始まる。
(※2) いまメールしても、デヴィッドとチャットはできません(笑)!

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■ 2003年1月~2月のデヴィッドの日記
スター・サーチに出演する直前から出演中のデヴィッドの「日記」です。
1月も2月も、それぞれ1月分をまとめて書いている形になっています。だから長い!
2003年1月1日~31日 ※前回の誕生日の日記の続きです。
それから2週間ほどは、スター・サーチと新番組のアメリカン・アイドルをTVでみて、本当に興奮して過ごした。それに僕のデモCDをいろんな人に送ったり、万一スター・サーチから連絡があったときのために、新しい曲をいくつか練習したりもした。
スター・サーチの一回目の放送を見て、それから2回目の放送でティファニー・エヴァンズを見た。彼女は本当にすごい歌手だ。スター・サーチを見るのはとっても楽しかった。11月のオーディションで会ったCJジョンソンやリサ・タッカーが出演していたし。リサ・タッカーは確か去年の「Next Big Star」にも出てたのを覚えてるよ。
僕らは、新番組のアメリカン・アイドルにもすごく興奮した。アメリカン・アイドルとスター・サーチの他にも毎週いろんな番組を見た。でも1月の終わり頃に病気になっちゃって、数週間も歌が歌えなかったんだ。
2003年2月1日~28日
ちょうどそんな時にスター・サーチから電話があって、テープを送るように言われたんだ。ところが僕にとって歌うのがとってもしんどい時期だった。だけどテープを送るまでにたった1日しかなかったから、上手く歌えるように一生懸命頑張らなきゃならなかった。”Who’s Loving You” と “God Bless America”の2曲をビデオ撮りしたんだけど、番組側は “God Bless America”が気に入らなかったらしいんだ。それで別の「男の子の曲」のテープを送るようにって言ってきた。だから、 “Who’s Loving You” とマイケル・ジャクソンの “Ben”とビリー・ギルマンの “One Voice” を入れたテープを送った。 彼らがそれを見て、カリフォルニアに来て番組に出演してくれって電話がかかってきた。これには「すっごく」興奮した。
僕とお姉ちゃんとパパでハリウッドに行った。最初に番組を撮るスタジオに行った時に、毎日学校に行かなきゃだめだって言われた。これには始めはがっかりした。でも、アンジー先生に会ったらとってもいい人だった。彼女は僕と他の子供達にも教えるんだって。学校が終わってから番組の最初に流すインタビューを撮った。そこでカルフォルニアから来た女の子、アンナ・マリアに会った。彼女も番組で歌うんだって。彼女の家族はみんないい人で、彼女も素晴らしい歌手だ。
インタビューを撮ってから、お昼ご飯を食べた。それから音楽ディレクターと一緒に曲の練習をした。この人もとってもいい人だった。午後遅くなってからそこを出て、ホテルに戻ってからまた練習をした。夕食はホテルで食べた。そこでホテルで働いている人達に何人か会ったんだけど、中でもユダって男の人が僕とお姉ちゃん、それに家族みんなにとっても良くしてくれたんだ。それからはいつもそこで食べた。TVもあるし、いつも良くしてくれるから。
本番までは、だいたいこんな日が続いた。本番の日も同じことをしたけど、この日はドレス・リハーサルがあった。これは、観客がいないだけで、本番とほとんど同じなんだ。それから番組が始まるまでトレーラの中で待った。出演者はみんなここで待つんだ。いざ本番になると、僕がトップバッターで”Who’s Lovin’ You”を歌った。まだ風邪が少し残っていて、いつもほど上手くは歌えなかったけど、でも審査員と観客の前で歌うことができて、それに番組に参加できてとっても幸せだった。でもアンナ・マリアが負けて悲しんでいるのはかわいそうだった。だれも負けなきゃいいのにって思った。この日は弟のダニエルの9歳の誕生日だったから番組の途中で電話したんだけど、ダニエルは電話に出なかった。誕生日にここに来れなくてダニエルには悪かったけど、ダニエルは、僕達がこっちに来ている間の番組を録画しておいてくれるって約束してくれたんだ。
番組が終わってから、電話インタビューを受けた。そこで、明日の朝のEarly Show に出演して欲しいって言われた。それからホテルに戻って夕飯を食べた。この日はチキン・ファインガーだった。それから番組を見た。自分が写っているのを見るのはちょっと落ち着かなかったけど、みんながTVを見てとっても喜んでるのを見るのは楽しかった。
それから、明日のEarly Showに出るためには朝4時に起きなきゃならないってことがわかったんだ。4:15には迎えの車が来てEarly Showのスタジオに行った。そこでメーキャップしてインタビューを受けた。ダンスの優勝者のジョン・クルーズと一緒にインタビューを受けたんだけど、二人とも質問に数分間答えなきゃならなかった。
それからホテルに戻って数時間ほど寝た。それから学校に行って、昼ごはんを食べた。早めに学校が終わって、ホテルに戻って友達のダイアン・ゴードンを待った。彼女には、僕達がアメリカン・アイドルのファイナルを見るために初めてハリウッドに来た時に会ったんだけど、とっても素晴らしい歌手なんだ。今はもう家族同様で、おばさんのラウリと僕たちのとってもいい友達なんだ。この夜は初めて”Fallin’”を練習した。昼間は全然時間が取れなかったし、僕が最初に歌うはずだった”A Piece of Sky”は歌いたくなかたし。司会のアルセニオが僕をユタの「ソウルマン」って言い続けるものだから、僕らとしてはバーバラ・ストライザンドやセリーヌ・デュオンの曲を歌うよりは、そっちの路線を歌い続けた方がいいだろうと思ったんだ。”Who’s Lovin’ You”を歌うことができたのは嬉しかったなあ。これは僕の大好きな曲の1つだから。
翌日は準決勝だったけど、実は本当に心配だったんだ。相手の2人の女の子のジョリーとビクトリアはとっても上手だから。僕は多分負けるだろうし、ビクトリアが勝つんじゃないかなと思っていた。リハーサルでの彼女は完璧だったし、ジョリーは前日調子が悪そうだったから。ジョリーは素晴らしい歌手なんだから、かわいそうだって思った。本番ではよくなってるといいけどって。
準決勝で、インターネット投票に入る時点で僕らがみんな同点だったときは、とっても緊張した。彼らが戻ってきて、ビクトリアと僕がまだ同点だって知ったときは、何が起きているのか分からなかった。それから、彼らは僕が勝ったって言ったんだ。でも、僕はまだ何がおきたか理解してなかった。後から番組を見て、ビクトリアが僕と握手しようとしていたのに気付かなかったのを知って、悪かったなあと思った。あと、アルセニオが僕を引っ張るまで後ろを向いたままだったっていうのも分かった。僕が勝ったなんて信じられなかったんだ。 それからホテルに戻って、もう一日ここにいてからユタのうちに帰ることにした。
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デヴィッドがまとめて一回で書いたんじゃなくて、最後に誰かがまとめたんでしょうけど、それにしてもまあ、よく書くわね~。
ここでも、いつも自分よりも人のをことを気にかけてるのね~。
ちなみに、↑Early Showでのインタビューに同席してるジョン・クルーズのママの誕生日に、デヴィッドが歌ったHappy Birthdayはこちら。

う~ん、Happy Birthdayさえもしっかりアレンジしてソウルフルに歌っていますね。周囲の大人が大喜びしているのは、まあ、当然ですわね。
※うしろのじいちゃんが、何度も戸を開け閉めしているのが、結構笑える。
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Marshaさんから、デヴィッドはもっとスター・サーチに出演しているぞっ!とのありがたい指摘を頂いておりましたので、この週末を利用して歴史探索の旅に出て、事実を探ってまいりました。
はっきりいって、CBSのStar Searchのサイトはひどい!まったく年月が記載されていないし、書いてあっても矛盾だらけ。さらに言えば、この番組、内容がコロコロかわる。どうもその場しのぎで視聴率の取れる方向に随時変更したんじゃないのか?デヴィッドも怒ってるぞ!
では、デヴィッドのスター・サーチ時代のパフォ一覧です。
※上記の理由から、今ひとつ年月がはっきりしないんですが、順番だけは正しいです。
★2003年 スター・サーチ 「シーズン2」 優勝
○  Preliminary: “Who’s Lovin’ You?”

○ Semifinal: “Fallin”

○ Final: “You’re all I Need to Get By.”

★ 2004年(?) スター・サーチ 「チャンピオン大会」 敗北
※シーズン1~3のチャンピオンによる争い
● チャンピオン大会 ”I Surrender “

★ 2004/1~2 スター・サーチ 「シーズン4」
※決勝進出およびウイナーズ・サークル残留をかけた戦い
(↑としか言いようがないのよ~)
<ルール(のようなもの)>
まず挑戦者2名が争い、勝った方と過去のシーズンのチャンピオンが戦う。挑戦者は対戦相手となる過去のシーズンのチャンピオンを選択することができる。
過去のシーズンのチャンピオンは、挑戦者を破ることでウイナーズ・サークルに残留し、最後まで残留できたチャンピオン達(またはチャンピオンを破った挑戦者達)がファイナルで優勝をかけて戦う。
○ 2004/01/31 “A House is Not a Home”  勝利

○ 2004/02/07 “Climb Every Mountain” 勝利
[...]

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デヴィッド・アーチュレッタは、アメリカン・アイドル(シーズン7)のオーディションに現れて以降、実に20曲をこえるパフォーマンスで私達を魅了しました。
では、ここに至るまでの彼は、どのようにして音楽と出会い、付き合ってきたのでしょうか。
まずは、「スターサーチ」に参加するまでの、彼の簡単な経歴をおさらいします。
※以下は、デヴィッド・アーチュレッタがスター・サーチのシーズン2で優勝した頃の彼の公式ホームページ”davidarchuleta.net”に紹介されていた、デヴィッドの経歴です。
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デヴィッド・アーチュレッタは、音楽に囲まれた家族から生まれた。父のJeffはジャズ・トランペット奏者、母のLupeは英語とスペイン語の両方でポップ・ミュージックを歌う歌手である。
デヴィッドが歌を始めたのは、6歳の時である。父親のJeffが買ってきた「レ・ミゼラブル」の10周年記念ビデオを見て、翌日にはその中のいくつもの曲を、曲中のコックニー訛りまでもそのままに暗記して歌ってみせた。他にも、ミュージカル「エビータ」の曲や、ユタ州の遊園地ラグーンに流れていたナタリー・コールの「Pink Cadillac」などを楽しそうに歌っていた。
この頃のデヴィッドは、歌うのは大好きだったが、人前で歌うことは苦手だった。みんなが自分の歌を本当に聴きたいなんて信じられなかったのである。
デヴィッドは、10歳の時にユタ州のタレント・コンペ(Utah Talent Competition)に参加したのだが、この時も彼は人前で歌うことをすごく嫌がっていて、しかも極度に緊張していた。そして彼はステージに上がり、「I Will Always Love You」を歌って観客のスタンディング・オベーションを受ける。結果的に子供部門で優勝し、みんな自分の歌を聞くのが本当に好きなんだ、ということを初めて認識した。
その数ヵ月後に、テレビでアメリカン・アイドル(シーズン1)の放送が開始された。デヴィッドはこの番組が大好きで、何度もパフォーマンスを見直し、数十曲を覚えた。この中に「And I am Telling You, I’m Not Going」があり、デヴィッドはこれを歌うのが最も好きだった。
アメリカン・アイドル(シーズン1)が終わりに近づいた頃、デヴィッドの家族の友人がJenny Jonesショー(http://www.jennyjones.com/)でアメリカ中の才能ある子供達を特集するらしいから、デヴィッドもそのオーディションを受けたら、と電話してきた。
ショーのプロデューサが電話をかけてきて、デヴィッドがアカペラで歌う「And I Am Telling You」に非常に感銘を受け、急いでビデオとCDを送るように言った。それから数日後、デヴィッドはショーに出演するために父親と共にシカゴ行きの機中にいた。
Jenny Jonesショーで、彼はアメリカン・アイドル(シーズン1)に出演していたA.J.ギルに出会い、友達になった。その1週間後、デヴィッドはロスアンジェルスで再びAJに会い、AJがシーズン1のファイナリスト達(ケリー、ジャスティン、タマイラ、クリスティーナ、ニッキー、RJ、ジム、ライアン、イージョイ)にデヴィッドを紹介し、ファイナリスト達の前で何かパフォーマンスを披露するように言った。

more about “DA – AI season 1“, posted with vodpod
ファイナリスト達はデヴィッドの歌に非常に驚き、その数日後には、デヴィッドは多くのTV局やレコード会社のプロデューサやエクゼキュティブに紹介された。
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この後、すぐにデヴィッドはスター・サーチに出演し、優勝します。そして、レコード会社とまさに契約をしてCDをリリースしようとしていた頃、声帯麻痺が起き、彼のデビューをちょっとだけ、2008年まで、遅らせてしまいます。
でも、きっとそれで良かったんでしょうね。その時デビューしていたら、今のデヴィッドを私たちが知ることはなかったかもしれませんもん。
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2008年5月6日のBillboard.comのQ&Aの中で、デヴィッド自身が自分の音楽歴について詳しく語っていますので、ご紹介します。
実は、デヴィッドが声帯麻痺の頃について、こんなに具体的に話しているインタビューがあったことを、私、最近まで(実は昨日まで!)知りませんでした。 5/6と言えばAIではTOP4の時期で、その頃はデヴィッドのパフォーマンスにしか目が行ってなかったですからね~。
皆さんはもうとっくにご存知かもしれませんが、とっても素敵なQ&Aなので、是非紹介させてください。
出典はこちら⇒ http://www.billboard.com/bbcom/search/google/article_display.jsp?vnu_content_id=1003799422
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Q: ニール・ダイヤモンドはあなたを神童と呼び、多くの人があなたには音楽的才能が溢れていると言っていますが、このことについて、あなた自身はどう思いますか?
デヴィッド:僕はまだ、「君は、いい歌い手だ」と言われると奇妙な感じがする。僕自身は自分をそんな風に見たことはないから。僕自身は、自分は音楽が大好きで、音楽を自分の感じるままに愛し、解釈しようとしている、と思っている。
Q:あなたはいつも曲の歌詞に感情的につながっているように見えますが。
デヴィッド:まだ小さい頃の僕は、自分の歌の何が他と違っているのか、また自分がどんな風に歌ったのか、分かっていなかった。今でも完全に分かっているとは言えないけど。でも、以前に比べて、今の僕には歌詞が非常に重要になってきている。まだ12、13歳頃の僕は、歌詞には全く注意を払っていなかった。歌詞に関心を持つようになったのは、多分「スター・サーチ」に2年目参加した頃だと思う。それまでは、音楽そのものに十分なパワーがあると思っていた。でも今では、パワフルな歌詞にも音楽と同様に非常な力があることがわかっている。そして、それを理解したことで自分も進歩したと思っている。
Q:オンライン上では、あなたがアメリカン・アイドルのシーズン1のファイナリストにハリウッドのルネッサンス・ホテルで会った時のビデオが人気になっています。この状況はどうやって起きたんですか?
デヴィッド:僕はアメリカン・アイドル(シーズン1)に夢中で、その中でタマイラ・グレイが「And I Am Telling You I’m Not Going」を歌ったんだ。それを見て、僕は感情のこもった(ソウルフルな)音楽、表現豊かな音楽というものに初めて目覚めた。それからというもの、テレビデオで何度も繰り返してアメリカン・アイドルを見て、ケリー・クラークソンやタマイラに合わせて歌った。僕が本当に聴いたのはこの2人だった。彼女達のように歌う人をそれまで見たことがなかったからね。おかげでパフォーマンスって何なのか、歌に入り込むってことが何なのかを知ることができた。
その後、僕は未来のラテン系スターのための「Jenny Jones」ショーで「And I Am Telling You」を歌った【※このショーでは、シーズン1のファイナリストAJ・ギルを特集していた】。僕は11歳で、叔母と僕はホテルの外でAJのところに走って行ったんだ。AJは、(タマイラが僕の人生を大きく変えたんだから)「君にタマイラを紹介したいから、中に入って」と言った。そこで彼女の前であの歌を歌ったんだ。ちょっと怖かったけど、同時にやった、って感じだった。その後で彼らが僕を他のファイナリストの前で歌わせて、それからケリーとジャスティンが来て、また彼等の前で歌って。あれはクールだったね。あの時点で、ケリーはまだ優勝してなかったんだから。
Q:シーズン7の最初の頃に、あなたは数年前に声帯麻痺を患ったと言っていますが、その時、二度と歌えなくなるんじゃないか、と心配しませんでしたか?
デヴィッド:僕が声帯麻痺に気付いたのは「スター・サーチ」の翌年だった。その時は本当に苦しくて、1分半の歌を通して歌うのがやっとだった。それで「もう、これ(歌)はできない」と思ったから、その後休養を取った。なかなか歌うことができなくて、声域も戻らなかったし、これが永遠に続くのかどうかも分からなかった。僕にはこれが何なのか全く分からなかった。自分の声帯が麻痺する可能性があるなんて知らなかった。でもそれからしばらくして「もう一度歌わなきゃ。僕は本当に歌が好きだ」と思った。僕にとって、「歌うこと」にはそれ以外のどこでも得ることができないものを感じさせてくれる「何か」があるんだ。それからの僕は、もうどこででも歌い続けた。例えばStadium of Fire (*)とか。ユタでは7月4日にBYUスタジアムでこれをやるんだ。
それからしばらくして、声が戻り始めた。声域も徐々に広がり出した。そこで、改めて今の自分に何ができるかを把握するように努めた。僕は誰だって歌うことができると思っていた。多くの人が歌う能力を持っていて、大きくなればなるほど多くの人が歌えるようになるって。
今、少し曲を書きはじめているんだけど、これは本当に楽しいね。まだ本格的にやり始めた、とは言えないけど。もう少し真剣にやりたいな。アメリカン・アイドルの中で、自分の声にどんな曲が最もしっくりくるのかを探したり、アレンジをしたりした経験は、とっても役に立ったと思っている。自分にもっと曲が書けるかどうか見てみたいな、まだ3曲しか書いてないからね。
(*)アメリカの独立記念日を祝って、たくさんの花火を打ち上げるイベント
Q: ソングライターとしては、誰かの助けを借りたんですか?
デヴィッド:まずはメロディと歌詞を自分だけですべて仕上げて、それから音楽に作り上げるために人の助けを借りた。いくつかのトラックを作ったんだけど。彼はきっと僕のことが嫌いだろうな。だって僕が何か説明しようとすると、永久の時が必要になるからね。「いや、そうじゃない。それじゃない。それは忘れて」って感じ。彼は本当に良い人だったよ。曲作りがはじめての人間に、とっても辛抱強くしてくれたからね。
Q: 一番最初の音楽に関する思い出は何ですか?
デヴィッド:パパはいつもトランペットを吹いていて、ママがママの姉妹と一緒に歌っている、っていうのが、最初の思い出かな。まだ小さな子供だった頃、ママがママの姉妹と一緒にいろんなところで歌っていたのを覚えているよ。
トランペットは嫌いだった。すごくうるさくて、家中に鳴り響いていたからね。今はジャズが好きだけど、あの頃はジャズって言うのはパパがトランペットをできる限り大きく鳴らすものだ、って思っていた。いつも耳を覆ってたなあ。音楽が僕にとって重要になったのは、多分パパの持っていた「レ・ミゼラブル」の10周年のビデオを見たときだと思う。完全に魅了されちゃった。6歳か7歳頃だと思うけど。
Q: 音楽以外のキャリアを考えたことはありますか?
デヴィッド:歯医者について調べたことがあるけど僕向きじゃなかったね。それから、耳鼻科のお医者さんっていうのがいいなあ、と思い始めた。音楽で何かできなかったら、少なくとも音楽を使って人の役に立ちたいと思う。僕が声帯麻痺でお世話になった耳鼻科の先生達は、本当に良くしてくれたから。自分に起きた問題をどうやって解決できるかがわかったら、それは素晴らしいと思う。僕はずっと鼻炎に悩まされているし、聴力と声にも何か問題がある、って確信してるから。
Q: 大学には行きたいですか?
デヴィッド:行きたい。自分が何に興味を持つのかかが見てみたい。音楽は、僕が決して諦めることのない「何か」だってことはわかっている。ただ、他に自分が興味を示す職業が何かあるかってことを知りたいんだ。まだわからないけど。いつも僕の周りには音楽があったから、他にはあまり目を向けてこなかったんだ。特に今はコンテストの真っ最中だから、音楽しか考えていないしね。他の事に集中する時間は本当にないんだ。
Q: あなたのお父様に数ヶ月前にお会いした時に、あなたはビルボードのチャートブックにとても興味を持っている、ってことでしたけど。
デヴィッド:アメリカン・アイドル用の多くの歌をそこから見つけたよ。今まで聴いたことのない多くの歌をね。僕はチャートブックで見るまで「One Sweet Day」さえ知らなかったんだから。16週間も1位だったのに、だよ。ビルボードのチャートブックが僕に与えた影響は大きいよ。友達と一緒によく見ていた。僕があんまり詳しいから、みんな僕が異常だって思ったんじゃないかな。
◇◆◇◆◇◆

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