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‘AI以後~AIツアー(2008/7-8)’ カテゴリーのアーカイブ

★★ユタ州マレー、ファイアサイドにて(2008年6月1日)
AIファイナル後、ロスやNYでのインタビューをこなした後で、AIツアーのリハーサルが開始されるまでの少しの間、ようやく自宅に帰ったデヴィッド。皆が彼の情報に飢えている中で、このファイアサイドでの「Be Still My Soul」が紹介されるや、ファンの間のみならず、あっという間に世界に(!)広がりました。
デヴィッドの澄んだ歌声と共に、彼がこれを歌った背景がいかにもデヴィッドらしくて話題になりました。 
 
というわけで、NutterButterさんの(言外の)リクエストにお答えして、デヴィッドの後ろでピアノ伴奏しているリチャードがFanBlastに送った手紙を日本語にしてみましたので、どうぞ ↓
※なお、予想外に宗教色の濃い内容だったので、ニュアンスが違うかもしれません。誤訳はお見逃しの上、読み流してください。  
やあ、みんな。
僕の昨晩の素敵な経験をみんなに知らせたくてね。
昨日の午後3時18分にアーチュレッタの家から電話があって。デヴィッドがこれからファイアサイド(*)で2時間ほど話をしに行くんだけど、そこで歌う時に伴奏できるかって聞かれたんだ。(このファイアサイドでは)アーチュレッタの友達のブレット・ヘールズが彼の試練と、それをどうやってそれを克服したかを話すように頼まれていた。ブレッドはM.S.(**)でほんの6ヶ月前まではチューブからしか栄養を取れなくて、最後の日を数えているような状態だった。ところが奇跡的に回復して、今ではもうとても良くなったんだ。ブレッドはこのファイアサイドにデヴィッドを連れて行って、一緒に話をすることに決めたらしい。
そこで僕は、忙しい日曜の夜の予定をすべてキャンセルして、2人を乗せてフィアサイドに参加した。このファイアサイドは問題を抱える子供達のための学校で開かれるものだった。問題を抱える子供たちが「体勢を立て直す」助けとなるようにと設けられた10ヶ月間の校内プログラムだ。この中で最も面白かったこと言えば、子供達のほとんどはそれまでデヴィッドが歌うのを見たことがなかったんだ。そこではTVを見ないからね。だから彼等にとってデヴィッドの歌を聴くのは初めてだった。
そこで、デヴィッドは「Angels」と「Be Still My Soul」の2曲を歌い、彼のアメリカン・アイドルでの経験を話したんだ。僕は幸運なことに2曲とも伴奏するという光栄に預かった。そこにあったピアノは決して良いものじゃなかったけど、何とかうまくいった。この「Be Still My Soul」は、僕がデヴィッドのためにしばらく前にアレンジしたんだ。みんながこのパフォーマンスを聴けるように、リンクを書いておくから。彼がこの曲を歌った時、きっと部屋に御霊(みたま)(***)が降りてきたのを感じると思うよ。学校の先生達も、この子達がこんな風に(御霊を)感じるのはめったにあることじゃない、と涙を流していた。この子達が置かれている今の状況や彼らのふるまいから、彼らが御霊を感じたり、認識したりすることは難しいんだ。でも、これで、この子達が御霊を感じたことが証明されたわけだ。彼等の目を見ればそれがわかる。僕は、彼等が自分達の人生の中でより多くの御霊を感じたいと望むことを祈るだけだ。
デヴィッドは、彼と話をしたがる子達の相手を十分にしてくれた。サインし、一緒に写真を撮り、励ましの言葉をかけたりして、約1時間半をそこで過ごしたんだ。デヴィッドが分かち合う(share)(****)ことに意欲的なのは素晴らしいことだ。
まずは、パフォーマンスをご覧あれ!
リチャード
(*)ファイアサイド:モルモン教の日曜日に開かれる集会の1つ(だが、必ずしも日曜日に開かれるとは限らない)。ファイアサイドは通常、特定なグループ(若い男性、若い女性、独身男女、その他)のために夜開かれて、ゲストスピーカーが話をする。
(**) M.S.:多発性硬化症 (Multiple Sclerosis)。四肢麻痺、呼吸障害、視力障害、言語障害、嚥下障害、排便排尿障害、発熱、全身の痛みなどの症状がある。
(***)御霊 Spirit:原文が大文字のSpiritになっていますので、ここは宗教的な意味での「御霊」としました。モルモン教では、「御霊を感じる」ことがとても重要な意味を持つようですが、私、キリスト教にもモルモン教にもド素人ですので、これ以上の言及はできません。
(****) 分かち合う(share):同上
 
写真の右がリチャードさんですね。

Be Still My Soulとは、
・日本では 「賛美歌298番:安かれ、我が心よ」として親しまれている曲です。
・原曲は、シベリウス(J.Siberius)作曲の 交響詩「フィンランディア」Op.26 の中間部分です。
・フィンランドでは、この「フィンランディア(フィンランド賛歌)」は第二の国歌として親しまれています。このため、デヴィッドがこの曲を歌ったことがフィンランドのニュースに取り上げられました。「アメリカン・アイドルがフィンランドの国歌を歌う!」とか何とか(※フィンランド語なので正確なところはわかりません)。
↓以下フィンランドのサイトへのリンクです(フィンランド語です)。
⇒ http://www.iltasanomat.fi/viihde/uutinen.asp?id=1539538
⇒ http://www.hs.fi/viihde/artikkeli/Idol-Archuleta+laulaa+Finlandia-hymni%C3%A4+YouTubessa/1135236885529
⇒ http://www.iltalehti.fi/popstars/200806037744836_ps.shtml
デヴィッドのBe Still My Soulは、フィンランド人には賛否両論のようでした。といっても、デヴィッドの歌にケチをつけるのではなく、彼らの大事な「フィンランディア」が英語で全然違う歌詞になって歌われることに対する批判が多かったように思いますが。 
いずれにしても、フィンランドでDavid Archuletaが一躍有名になったのは、間違いない!?
↓原曲のフィンランディアはこんな曲です。歌詞付き。なんと「初音ミク」が歌っています!
http://jp.youtube.com/watch?v=gTdrSkO1Ubo
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
★★ソルトレーク・シティでのホーム・カミングコンサート中止!(2008年6月7日) 
デヴィッドは、AIツアー開始までのつかの間の故郷での時間に、これまで応援してれたファンのために「ホームカミング・コンサート」を開く予定でした。2008年6月7日に、ソルトレークシティのEセンターで。チケットは1ドル(!)で、すべてチャリティに寄付することまで発表されていましたが、残念ながら中止になってしまいました。
理由は、どうやら会場であるEセンターが、ダメ出ししたからとのこと。AIのプロデューサは、このコンサートにOKを出していたらしんですが・・。
AIツアーのソルトレーク・シティ分2日目のチケットがまだ残っていたため、Eセンター側が、少なくともAIツアーが終わるまでは×、としたらしい、というのがもっぱらのうわさですが・・・本当のところはわかりません。
(そりゃあ、デヴィッド一人だけのコンサートがたった1ドルで聴けるんだったら、そっちの方がいいに決まってますもんね~。)
その後8月に開きたいとの話もあったようですが、デビューしたら難しいだろうし、幻かな?やっぱり。

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★People en Español (People Magazine スペイン語版) の記事 (2008年7月)
少し前になりますが、People誌のスペイン語版で、Devid Archuletaが紹介されました。
この写真も、記事の内容もなかなか好ましいので、紹介します!

頂点に立ったデヴィッド・アーチュレッタ
TV番組「アメリカン・アイドル」での拍手喝采に後押しされて、ホンジュラスの血を引くヤングスターは、彼の歌を聴く者すべてを引き付けながら夢を追いかける
イシス・サウセーダ
<ページ右上>
誇り
「みんなが、自分のしたことに喜んでくれたら嬉しい」とデヴィッド・アーチュレッタは言う (2008年6月、ロス・アンジェルスにて)
<本文:1ページ目>
アーチュレッタの家族は、数ヶ月の間、これまでのようにユタ州マレーの自宅で一緒に夕食を囲むことができないままでいた。実際、それは容易なことではなかった。家族のうちの2人、父親のジェフと長男(5人の子供のうち2番目)のデヴィッドは自宅から600マイル離れたロス・アンジェルスにいて、一緒に過ごすことは不可能だった。でも、それだけの犠牲を払う価値はあった。2008年の初頭から、デヴィッド・アーチュレッタは、国民に最も人気のある番組のひとつであるアメリカン・アイドルで、毎週、毎週歌を披露するという、彼がずっと暖めていた夢を実現したのだ。「僕はいつもこうなることを想像していたんだ」とデヴィッド・アーチュレッタ(17歳)は言う。それに、ホンジュラス人の母親ルーペ(42歳)が付け加えた。「私は親戚一同が集まる時にはいつも子供たちに歌わせていたんだけど、デヴィッドは明らかに一番目立っていたの。」
これは、TVの歌謡コンテストにおいて、まさにデヴィッドがしたことである。彼女の息子は、5月のファイナルにおいて今年のアメリカン・アイドルになることはできなかった。

<本文:2ページ目>
デヴィッド・クックに敗れて次点になったのだが、ラテン系としては最初の成功者となった。そして、この番組に参加したことで、約束されたキャリアへの扉を開いたのである。この夏、アーチュレッタは、アメリカン・アイドルのライブツアーに参加するだけではない。ソロ・アーチストとして、彼の最初のアルバムの製作を開始する予定である。
「アメリカン・アイドルは、彼にとって決して容易なものではなかったんだ。彼は簡単そうに見せていたけどね。」来年高校を卒業する予定のアーチュレッタについて、アメリカン・アイドルのピアニストで、音楽ディレクタのマイケル・オーランドは言う。「彼は天才として参加し、天才として去っていった。ほかの参加者達はみんな、彼のレベルに到達したいと切望していたんだ。」
あらゆる喝采や視聴者(彼のファンは自分達を「アーチーズ」と呼んでいる)からの数千万票に及ぶ投票にもかかわらず、アーチュレッタはそんな称賛に対して懐疑的である。
「僕は、自分の歌を聴きたい人なんて誰もいないって思っていた。」と、いまや彼を留めるものは何も無いパフォーマは言う。彼は、母親の影響でセリア・クルース、グロリア・エスタファン、セレナを聴いて育った。彼の母はマイアミに住み、タリアのファンで、「The Sisters Mayorga」で歌っていた。「僕はいつも恥ずかしかったんだ」。
しかしデヴィッドは、故郷のユタで、大勢の観衆の前で、両親が見守る中、歌を披露した。アーチュレッタは10歳にしてテレビデビューし、12歳でスター・サーチのヤング部門で優勝した。チャリティで歌うためにホンジュラスを訪れたことのあるこの少年は、セルバンテスの言語(スペイン語)をマスターすることによって自らのラテンのルーツにも敬意を払っている。彼は、母方の祖母と話す時にだけ、スペイン語を話す。「だって、おばあちゃんは僕の(スペイン語の)欠点を知ってるからね」と、マイクの前にいないときはいつもiPodで音楽を聴いているアーチュレッタは言う。(彼の好きな歌手、スティービー・ワンダー、セリーヌ・デュオン、マイケル・ジャクソンなんかをね)。
彼の、歌手としてのキャリアは、彼がまさにスタートを切ろうとしていた時に危機にさらされた。1年半ほど前、アーチュレッタは声帯麻痺のために治療を受けていた。「医者は私たちに『天にある何者かが彼に歌わせたいって思っているんでしょうね。医学的には、彼は歌うことができないはずですから。』と言ったんです」と、アメリカ人のジャズミュージシャンである彼の父(47歳)が言う。治療の後、この若者は再び歌いだす。最初は話すこともままならず、呼吸さえ困難だったのに、だ。この時点で、しかし誰も彼を止めることはできなかった。「僕は、ほかの人が歌うのを聴くと、つながっているって感じるんだ。僕が歌うことでそれと同じことができたら、僕は本当に嬉しいんだ」とアーチュレッタは言う。「多くのアルバムが製作できたらいいなと思う。スペイン語での曲作りも是非やってみたいし。たとえばルイス・ミゲルなんかいいよね!」
<デヴィッドの胸の上!>
「医者は私たちに『天にある何者かが彼に歌わせたいって思っているんでしょうね。医学的には彼は歌うことができないはずですから。』と言ったんです」:ジェフ・アーチュレッタ
<ピンクのコラム>

「デヴィッドはいい子よ。いつも優しくて、思いやりがあって、礼儀正しくて素直なの」と母のルーペ・アーチュレッタは言う。「彼はいつもとっても素敵なのよ」
左上:1995年に、フロリダ州のキシミー川で両親と姉のクラウディアと一緒に休暇を過ごすデヴィッド・アーチュレッタ。
右上: アメリカン・アイドルでのパフォーマンス
◇◆◇◆◇◆
う~ん、この写真の選択といい、記事といい、やっぱりラテン系の感性の方が日本人に近いと思うのよね (← 何と比較してかはあえて言わない。おとなだからねっ!←これ気にいっちゃった♪)。

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